川勝良一
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名前 | ||||||
カタカナ | カワカツ リョウイチ | |||||
ラテン文字 | KAWAKATSU Ryoichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1958年4月5日(66歳) | |||||
出身地 | 京都府京都市北区[1]。 | |||||
身長 | 179cm[2] | |||||
体重 | 73kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1974-1976 | 京都商業高校 | |||||
1977-1980 | 法政大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1981-1982 | 東芝 | 35 | (4) | |||
1983-1988 | 読売クラブ | 61 | (3) | |||
1989-1990 | 京都紫光クラブ | 22 | (0) | |||
1990-1991 | 東京ガス | |||||
通算 | 118 | (7) | ||||
代表歴 | ||||||
1980-1982[3] | 日本 | 13 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1997-1998 | ヴェルディ川崎 | |||||
1999-2002 | ヴィッセル神戸 | |||||
2006 | アビスパ福岡 | |||||
2010-2012 | 東京ヴェルディ | |||||
2014 | 京都サンガF.C. | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
川勝 良一(かわかつ りょういち、1958年4月5日 - )は、京都府京都市北区出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者である。ニックネームは「ケツ」。エーピーエンタテインメント所属。
来歴
[編集]京都市立加茂川中学校、比叡少年蹴球団卒団、京都商業高校 (現:京都先端科学大学附属高校)を経て、法政大学に入学。大学時代はサッカー部に在籍し、在学中より日本代表に選出され、1980年1月のウイペシュティ・ドージャ戦で初出場した[4]。
卒業後の1981年に東芝(現 コンサドーレ札幌)に入部。石崎信弘は1年先輩。抜群のテクニックを誇り木村和司と並ぶとまで言われたゲームメーカーであった。1982年にはJSL2部で年間9アシストを記録しアシスト王に輝く。その後、1983年に読売クラブ(現 東京ヴェルディ)へ、1990年に東京ガス(現 FC東京)へ移籍し、1991年のシーズン途中で現役を引退して、コーチに就任。
現役引退後は東京ガスやヴェルディ川崎で主に下部組織の指導に務め、1995年にS級ライセンスを所得。1997年にはV川崎で天皇杯のみだが初めてトップチームの監督を務めた。翌1998年にもV川崎でシーズン途中から終了まで監督を務めた後、1999年にヴィッセル神戸の監督に就任した。1999年2ndステージと2000年1stステージで7位に進出するなどの実績を残したが、2002年のシーズン途中で成績不振を理由に解任された。
2003年からは母校の法政大学でコーチを務めていたが、2006年6月3日よりアビスパ福岡監督に就任した。だが、チームは低迷し16位でシーズンを終了。J1・J2入れ替え戦ではくしくも2002年の神戸解任時の後任監督であり、前任の福岡監督である松田浩が監督を務める神戸と対戦し、アウェーゴールの差で敗れJ2降格が決定。勝ち残っている天皇杯を待たずに辞任する事が決まった。
2007年より法政大学のコーチを務め、2009年10月から東京Vの強化アドバイザーに就任。2010年からは東京Vの監督に就任した。当初は強化部長も兼任すると発表されていたが、2010年1月18日に昼田宗昭が強化部長に就任すると発表されたため、監督業に専念することになった。2012年で3年目に入ったが、同じ監督が2年以上続けて東京Vの指揮を執るのは川崎時代も含めて初めて[5]。2012年9月、辞任が発表された[6]。
2014年6月29日、京都サンガF.C.の監督に就任[7]。昇格は果たせず、シーズン終了後に辞任した。
現在は、東京都調布市の小学生クラブチームDORO(ドゥーロ)のクラブアドバイサーを務めている[8]。
エピソード
[編集]- V川崎時代から熱血漢として有名で、神戸時代の2000年には試合途中に選手の頭を平手で叩いたことが物議をかもした。ただ、川勝が福岡監督に就任する際、福岡所属で神戸でも川勝と一緒だった薮田光教は「熱くなってやったのだろうが、普段はそんなことをする人ではない」と川勝を擁護する発言をしている。
- 趣味はイラストを描くこと[1] で、現役時代にも練習後にイラストレーターのアシスタントをしていた。サッカー研究のため度々イタリアへ渡っているが、現地では同時に美術館などを訪れる。また、東京Vの40年誌の表紙やFC東京のエンブレムなどをデザインしたという[1]。
- 現役引退後は、指導者としてライバルだった木村和司を行く先々で臨時コーチに招き、フリーキックの極意を伝授させた。
所属クラブ
[編集]- 京都商業高校 (現:京都先端科学大学付属高校)
- 法政大学
- 1981年 - 1982年 東芝
- 1983年 - 1988年 読売クラブ
- 1989年 - 1990年 京都紫光クラブ
- 1990年 - 1991年 東京ガス
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1981 | 東芝 | 21 | JSL2部 | 17 | 1 | 4 | 1 | - | 21 | 2 | |
1982 | 10 | 18 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 21 | 3 | ||
1983 | 読売 | JSL1部 | 12 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 17 | 1 | |
1984 | 14 | 2 | 2 | 0 | 5 | 1 | 21 | 3 | |||
1985 | 16 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | |||
1986-87 | 12 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
1987-88 | 15 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 18 | 0 | |||
1989-90 | 京都紫光 | 18 | JSL2部 | 22 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 23 | 0 |
1990 | 東京ガス | 関東 | - | - | |||||||
1991-92 | 13 | JSL2部 | 15 | 0 | 1 | 0 | - | 16 | 0 | ||
通算 | 日本 | JSL1部 | 61 | 3 | 8 | 0 | 10 | 1 | 79 | 4 | |
日本 | JSL2部 | 72 | 4 | 7 | 1 | 2 | 0 | 81 | 5 | ||
日本 | 関東 | - | 0 | 0 | |||||||
総通算 | 15 | 1 | 12 | 1 |
- その他の公式戦
- 出場歴
- JSL(1部)初出場:1983年
代表歴
[編集]- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1981年2月8日 vs マレーシア (クアンタン)[3]
- 日本代表初出場:1980年1月30日 vs ウイペシュティ・ドージャ (大宮サッカー場)
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 13試合 0得点 (1980-1982)[3]
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1980 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
1981 | 10 | 0 | 13 | 0 | 23 | 0 |
1982 | 3 | 0 | 5 | 0 | 8 | 0 |
通算 | 13 | 0 | 20 | 0 | 33 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1981年02月08日 | クアンタン | マレーシア | ●0-1 | 川淵三郎 | 国際親善試合 | |
2. | 1981年02月17日 | シンガポール | シンガポール | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
3. | 1981年02月19日 | シンガポール | シンガポール | △0-0 | 国際親善試合 | ||
4. | 1981年06月19日 | 大邱 | マレーシア | ○2-0 | 森孝慈 | 韓国大統領杯 | |
5. | 1981年06月21日 | 釜山 | 韓国 | ●0-2 | 韓国大統領杯 | ||
6. | 1981年08月30日 | クアラルンプール | マレーシア | ○2-0 | ムルデカ大会 | ||
7. | 1981年09月03日 | クアラルンプール | インド | ○3-2 | ムルデカ大会 | ||
8. | 1981年09月08日 | クアラルンプール | アラブ首長国連邦 | ○3-2 | ムルデカ大会 | ||
9. | 1981年09月14日 | クアラルンプール | インドネシア | ○2-0 | ムルデカ大会 | ||
10. | 1981年09月18日 | クアラルンプール | イラク | ●0-2 | ムルデカ大会 | ||
11. | 1982年03月21日 | ソウル | 韓国 | ●0-3 | 日韓定期戦 | ||
12. | 1982年06月02日 | 広島県 | 広島県総合グランドメインスタジアム | シンガポール | ○2-0 | ジャパンカップ | |
13. | 1982年07月18日 | ブカレスト | ルーマニア | ●1-3 | 国際親善試合 |
指導歴
[編集]- 1991年 東京ガス (コーチ)
- 1992年 - 1998年 ヴェルディ川崎
- 1999年 - 2002年7月 ヴィッセル神戸 監督
- 2003年 - 2006年 法政大学 コーチ
- 2006年6月 - 12月 アビスパ福岡 監督
- 2007年 - 2009年9月 法政大学 コーチ
- 2010年 - 2012年9月 東京ヴェルディ 監督
- 2014年6月 - 12月 京都サンガF.C. 監督
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
1997 | V川崎 | J | - | - | - | - | - | - | - | 3回戦 |
1998 | - | 14 | 9 | 3 | - | 11 | - | ベスト8 | ||
1999 | 神戸 | J1 | 10位 | 30 | 37 | 12 | 4 | 14 | 1回戦 | 3回戦 |
2000 | 13位 | 30 | 33 | 11 | 1 | 18 | 2回戦 | ベスト4 | ||
2001 | 12位 | 30 | 33 | 9 | 7 | 14 | 2回戦 | 4回戦 | ||
2002 | - | 10 | 2 | 1 | 7 | 予選リーグ | - | |||
2006 | 福岡 | - | 22 | 19 | 4 | 7 | 11 | - | - | |
2010 | 東京V | J2 | 5位 | 36 | 58 | 17 | 7 | 12 | - | 2回戦 |
2011 | 5位 | 38 | 59 | 16 | 11 | 11 | - | 3回戦 | ||
2012 | 7位 | 32 | 53 | 17 | 2 | 13 | - | - | ||
2014 | 京都 | - | 3回戦 |
参考文献
[編集]- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8116-7
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2010』、コナミデジタルエンタテインメント、2010 ISBN 978-4-86155-852-8
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-101-4
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-103-0
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8117-5
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8135-3
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-840-5
脚注
[編集]- ^ a b c “挽回へ、サンガ再始動 新監督、川勝良一氏に聞く”. 京都新聞. (2014年7月25日) 2014年9月12日閲覧。
- ^ a b 『1991-1992JSLイヤーブック』p84
- ^ a b c “川勝 良一”. サッカー日本代表データベース
- ^ “国際親善試合 (1980.01.30) 大宮・大宮サッカー場”. 日本サッカー協会. 2014年9月12日閲覧。
- ^ 猛き風にのせて=シリーズ東京ヴェルディ(1)(1/2)J2開幕、松本山雅FCを2発一蹴 スポーツナビ 2013年12月20日閲覧
- ^ 川勝良一監督 辞任のお知らせ 東京ヴェルディ公式サイト 2012年9月6日
- ^ 『川勝良一氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2014年6月29日 。2014年6月29日閲覧。
- ^ “コーチ紹介”. DURO調布 SOCCER CLUB. 2023年12月9日閲覧。
- ^ 『Jリーグオフィシャルガイド1997』p72
- ^ 『Jリーグオフィシャルガイド1998』p50
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 川勝良一 - National-Football-Teams.com
- 川勝良一 - Soccerway.com
- 川勝良一 - FootballDatabase.eu
- 川勝良一 - WorldFootball.net
- 川勝良一 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 川勝良一 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 川勝良一 - J.League Data Siteによる監督データ
- 業務提携先㈱ジャパン・スポーツ・プロモーション
- 川勝良一オフィシャルブログ「引力」
- 川勝良一 (@ketsu0912) - X(旧Twitter)