荒木正三郎
荒木正三郎 あらき しょうざぶろう | |
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生年月日 | 1906年9月17日 |
出生地 | 日本 大阪府 |
没年月日 | 1969年6月16日(62歳没) |
出身校 | 池田師範学校専攻科卒業 (現・大阪教育大学) |
前職 | 教員 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 | 従四位 勲二等瑞宝章 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1950年6月4日 - 1962年7月7日 |
荒木 正三郎(あらき しょうざぶろう、1906年(明治39年)9月17日[1] - 1969年(昭和44年)6月16日[1][2][3])は、昭和期の労働運動家[4]、教育者、政治家。参議院議員。
経歴
[編集]大阪府出身[1][2][3]。1927年(昭和2年)池田師範学校(現:大阪教育大学)専攻科を卒業した[1][2][3]。同年、大阪府豊能郡箕面小学校訓導に就任[1][3]。以後、秦野小学校訓導、北豊島小学校訓導、池田市立北豊島小学校長を歴任した[1][2][3]。
戦後、大阪教員組合委員長に就任[1]。1947年(昭和22年)初代日本教職員組合中央執行委員長となり4期在任し[1][2]、また、日本教育会会長を務めた[3]。
1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で出馬して当選[1][3][5]。第4回通常選挙でも当選し[6]、参議院議員を連続2期務めた[1][2][3]。この間、参議院内閣委員長、同農林水産委員長、日本社会党国会対策副委員長、日本民主教育政治連盟会長などを務めた[1][3]。1962年(昭和37年)7月の第6回通常選挙には出馬せず引退した[7]。
1969年(昭和44年)6月16日死去、62歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 『新訂 政治家人名事典』27頁。
- ^ a b c d e f g 『市民・社会運動人名事典』21頁。
- ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』238頁。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 58頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』540頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』546頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』548-549頁。
- ^ 『官報』第12754号20-21頁 昭和44年6月23日号
参考文献
[編集]- 『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会 | ||
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先代 小酒井義男 | 参議院内閣委員長 | 次代 新谷寅三郎 |
先代 新設 | 参議院農林水産委員長 | 次代 江田三郎 |