長谷部久雄
長谷部久雄 九段 | |
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名前 | 長谷部久雄 |
生年月日 | 1933年7月17日 |
没年月日 | 2017年12月27日(84歳没) |
プロ入り年月日 | 1955年6月14日(21歳) |
引退年月日 | 1993年3月31日(59歳) |
棋士番号 | 67 |
出身地 | 千葉県千葉市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 大和久彪八段 |
弟子 | 脇田栄一指導棋士六段 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 長谷部久雄 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
通算成績 | 541勝568敗(.488) |
竜王戦最高クラス | 3組(6期) |
順位戦最高クラス | B級1組 |
2017年8月24日現在 |
長谷部 久雄(はせべ ひさお、1933年7月17日 - 2017年12月27日[1])は、将棋棋士。1993年、引退。大和久彪八段門下。棋士番号は67。千葉県千葉市出身。
棋歴
[編集]21歳でプロデビュー。
初参加の第11期(1956年度)C級2組順位戦で9勝3敗・2位の成績を収め、1期で昇級。
第14期(1959年度)C級1組順位戦で、7勝2敗・2位の成績でB級2組へ昇級。つづく第15期B級2組順位戦で8勝3敗の2位で、2期連続昇級で自己最高のB級1組に昇級。以降、B級1組とB級2組との間を3往復する。
第3期(1964年度)十段戦で、難関の十段リーグに入るが、2勝8敗の成績に終わる。リーグには升田幸三、二上達也、加藤一二三らがいた。
1966年、第8期棋聖戦で加藤一二三、中原誠らを破り決勝に進むが、二上達也に敗れ、タイトル挑戦はならなかった。
第10期(1969年度)王位戦で、中原誠らを破りリーグ入り。
第10回(1971年度)王座戦で有吉道夫、二上達也、大山康晴らを破り挑戦者決定戦に進むが、加藤一二三に敗れる。
テレビ棋戦の早指し将棋選手権の第12回(1978年度)と第14回(1980年度)で、ともに4回戦に進出。
第21期(1980年度)王位戦でリーグ入り。有吉道夫、勝浦修らに勝ったが、中原誠と谷川浩司に負けて3勝2敗となり、挑戦者決定戦には進めなかった。
C級1組において降級点を1個抱え、C級2組への降級の危機に瀕した状態で臨んだ第51期(1992年度)順位戦では、3勝7敗と不振ながら剣が峰で降級を回避するも、当期限りで引退。延べ36期参加した間、順位戦における通算勝率はちょうど5割であった。
2017年12月27日、千葉市内の自宅で死去、84歳没[2][1]。葬儀は近親者のみで営まれたという。将棋連盟からの訃報発表は死後約1ヶ月後、年が変わってからの2018年1月23日であった[1]。死因は未公表。2月28日にお別れの会が行われた[1]。
棋風
[編集]基本的には居飛車党で、矢倉、角換わり、相掛かり系を指すが、四間飛車、中飛車などの振り飛車も指した。
終盤での切れ味に特徴がある棋風であった。
人物
[編集]1983年から日本将棋連盟常務理事。1989年から1992年は専務理事を務めた。
タイトル戦の立会人を務めることが多かった。
門下には脇田栄一(1990年に初段で退会、後のラ・アトレ社長、指導棋士六段)などがいる[3][4]。
昇段履歴
[編集]- 1950年 :入門
- 1955年:四段 = プロ入り 6月14日
- 1957年:五段(順位戦C級1組昇級) 4月 1日
- 1960年 4月 1日:六段(順位戦B級2組昇級)
- 1961年 4月 1日:七段(順位戦B級1組昇級)
- 1982年11月17日:八段(贈八段 = 「将棋の日」表彰)
- 1993年 3月 :引退
- 2002年11月17日:九段(贈九段 = 「将棋の日」表彰)
主な成績
[編集]通算成績
[編集]- 541勝568敗
優勝
[編集]- 第5回(1960年度)高松宮賞争奪選手権戦 高松宮賞1回
- 優勝合計1回
在籍クラス
[編集]開始 年度 | 順位戦 出典[5] | 竜王戦 出典[6] | ||||||||||||||||
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T | |||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1956 | 11 | C215 | ||||||||||||||||
1957 | 12 | C112 | ||||||||||||||||
1958 | 13 | C107 | ||||||||||||||||
1959 | 14 | C108 | ||||||||||||||||
1960 | 15 | B213 | ||||||||||||||||
1961 | 16 | B113 | ||||||||||||||||
1962 | 17 | B110 | ||||||||||||||||
1963 | 18 | B201 | ||||||||||||||||
1964 | 19 | B113 | ||||||||||||||||
1965 | 20 | B108 | ||||||||||||||||
1966 | 21 | B202 | ||||||||||||||||
1967 | 22 | B212 | ||||||||||||||||
1968 | 23 | B202 | ||||||||||||||||
1969 | 24 | B205 | ||||||||||||||||
1970 | 25 | B215 | ||||||||||||||||
1971 | 26 | B113 | ||||||||||||||||
1972 | 27 | B106 | ||||||||||||||||
1973 | 28 | B112 | ||||||||||||||||
1974 | 29 | B203 | ||||||||||||||||
1975 | 30 | B213 | ||||||||||||||||
順位戦の31-35期は回次欠番/30期の翌期は36期 | ||||||||||||||||||
1976 | 36 | B209 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | B201 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | B205 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | B213 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | B203 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | B213 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | B205 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | B203 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | B210 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | B209 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | B218 | 1 | 3組 | -- | |||||||||||||
1988 | 47 | B214 | 2 | 3組 | -- | |||||||||||||
1989 | 48 | B215 | 3 | 3組 | -- | |||||||||||||
1990 | 49 | B223 | 4 | 3組 | -- | |||||||||||||
1991 | 50 | C101 | 5 | 3組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | C123 | 6 | 3組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
表彰
[編集]- 現役勤続25年表彰(1980年)
- 第22回将棋大賞「東京将棋記者会賞」(1995年3月)
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d “長谷部久雄九段 訃報 並びにお別れの会のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2018年1月23日). 2018年1月23日閲覧。
- ^ “訃報:長谷部久雄さん84歳=将棋棋士九段”. 毎日新聞 (2018年1月23日). 2019年12月17日閲覧。
- ^ “「加藤先生、本日も天ぷら定食でよろしいでしょうか!」”. 将棋ペンクラブログ (2015年2月13日). 2022年2月12日閲覧。
- ^ “第42回将棋大賞表彰式・昇段者免状授与式の模様”. 日本将棋連盟 (2015年4月23日). 2022年2月12日閲覧。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「長谷部久雄九段が旭日双光章を受章」『日本将棋連盟』2006年11月3日。2007年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。