静江府
静江府(せいこうふ)は、中国にかつて存在した府。宋代から明初にかけて、現在の広西チワン族自治区桂林市一帯に設置された。
概要
[編集]1133年(紹興3年)、南宋により桂州が静江府に昇格した。静江府は広南西路に属し、臨桂・興安・霊川・茘浦・修仁・義寧・永福・理定・古・陽朔の10県を管轄した[1]。
1276年(至元13年)、元により広西道宣撫司が置かれた。1277年(至元14年)、広西道宣慰司と改められた。1278年(至元15年)、静江路総管府と改められた。静江路は湖広等処行中書省に属し、録事司と臨桂・興安・霊川・茘浦・修仁・義寧・永福・理定・古・陽朔の10県を管轄した[2]。
1368年(洪武元年)、明により静江路は静江府と改められた。1372年(洪武5年)、静江府は桂林府と改称された[3]。