濰州
濰州(いしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から明初にかけて、現在の山東省濰坊市一帯に設置された。
概要
[編集]596年(開皇16年)、隋により青州下密県に濰州が置かれた。606年(大業2年)、濰州は廃止され、その管轄県は青州に移管された。下密県は北海県と改称された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、青州は北海郡と改称された[1]。
619年(武徳2年)、唐により北海県に濰州が置かれた。濰州は北海・連水・平寿・華池・城都・下密・東陽・寒水・訾亭・濰水・汶陽・膠東・営丘・華宛・昌安・都昌・城平の17県を管轄した。623年(武徳6年)、北海・営丘・下密の3県を残し、残りの14県が廃止された。625年(武徳8年)、濰州と営丘・下密の2県は廃止され、北海県は青州に移管された[2]。
962年(建隆3年)、北宋により青州北海県に北海軍が建てられた。965年(乾徳3年)、北海軍が濰州に昇格した。濰州は京東東路に属し、北海・昌邑・昌楽の3県を管轄した[3]。
金のとき、濰州は山東東路に属し、北海・昌邑・昌楽の3県と固底鎮を管轄した[4]。
元のとき、濰州は益都路に属し、北海・昌邑の2県を管轄した[5]。
1369年(洪武2年)、明により北海県は廃止され、濰州に編入された。1376年(洪武9年)、濰州は萊州府に転属した。1377年(洪武10年)、濰州は廃止され、濰県に降格した。昌邑県は廃止され、濰県に編入された[6]。