莫州

莫州(ばくしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から初にかけて、現在の河北省保定市南東部・廊坊市滄州市北西部にまたがる地域に設置された。

概要

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711年景雲2年)、により瀛州任丘文安清苑の4県と幽州帰義県の5県が分割されて、鄚州が立てられた。725年開元13年)、鄚州は莫州と改められた。742年天宝元年)、莫州は文安郡と改称された。758年乾元元年)、文安郡は莫州の称にもどされた。莫州は河北道に属し、・任丘・文安・清苑・長豊唐興の6県を管轄した[1]

北宋のとき、莫州は河北東路に属し、任丘県を管轄した[2]

のとき、莫州は河北東路に属し、任丘県と長豊鎮を管轄した[3]

のとき、莫州は河間路に属し、莫亭・任丘の2県を管轄した[4]

1374年洪武7年)、により莫州は廃止され、河間府に編入された[5]

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志二
  2. ^ 宋史』地理志二
  3. ^ 金史』地理志中
  4. ^ 元史』地理志一
  5. ^ 明史』地理志一