愛州

愛州(あいしゅう)は、中国王朝がかつてベトナムに置いた。現在のタインホア省タインホア市一帯に設置された。

概要

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523年普通4年)、南朝梁により交州を分割して愛州が立てられた[1]。州治は移風県に置かれた。

大業初年、愛州は九真・移風・胥浦隆安軍安安順日南の7県を管轄した。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、愛州は九真郡と改称された[2]

622年武徳5年)、唐により九真郡は愛州と改められた。742年天宝元年)、愛州は九真郡と改称された。758年乾元元年)、九真郡は愛州と改称された。愛州は九真・安順・崇平軍寧・日南・無編の6県を管轄した[3]

930年南漢が静海軍節度使の曲承美を捕らえて交趾を制圧した。931年、愛州の楊廷芸が南漢に叛き、交趾を制圧した。これによって中国王朝の北ベトナム支配(北属)はひとたび終わった。

モンゴル軍が北ベトナムに侵入すると、愛州の地に清化府路が置かれた[4]

1407年永楽5年)、永楽帝がベトナムに侵攻し、愛州の地に清化府が置かれた[5]1427年宣徳2年)、明軍が撤退し、黎朝の統治下に入った。

脚注

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  1. ^ 梁書』武帝紀下
  2. ^ 隋書』地理志下
  3. ^ 旧唐書』地理志四
  4. ^ 元史』地理志六
  5. ^ 明史』外国伝二