鷹司冬平
時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 建治元年(1275年) |
死没 | 嘉暦2年1月19日(1327年2月11日) |
別名 | 後照念院関白 |
官位 | 従一位、摂政、関白、太政大臣 |
主君 | 後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇 |
氏族 | 鷹司家 |
父母 | 父:鷹司基忠、母:衣笠経平の娘 養父:鷹司兼忠 |
兄弟 | 聖忠、道珍、冬平、良信、増基、冬基、冬教、尊基、慈兼、禅基、増静、聖尋、良聖、近衛兼教室 |
妻 | 正室:中院通頼の娘 中将長平の娘、近衛兼良の娘 |
子 | 師平 養子:冬教 |
鷹司 冬平(たかつかさ ふゆひら、旧字体:鷹司 冬󠄀平󠄁)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。関白・鷹司基忠の子。叔父・鷹司兼忠の養子。官位は従一位・摂政、関白、太政大臣。鷹司家4代当主。後照念院関白と号す。
経歴
[編集]弘安7年(1284年)2月、叙爵される。右中将を経て、翌弘安8年(1285年)3月、従三位に叙せられる。伏見朝の正応元年(1288年)11月、権中納言となる。春宮権大夫を兼ね、後伏見朝の正安元年(1299年)4月、内大臣となり、正安3年(1301年)の正月、従一位に昇る。後二条天皇の乾元元年(1302年)11月、右大臣に昇進。12月、左大臣に昇進。花園朝の延慶元年(1308年)11月、摂政・氏長者。延慶3年(1310年)12月、最高職の太政大臣に昇進する。延慶4年(1311年)3月、関白となり、その後正和4年(1315年)9月22日・正中元年(1324年)12月27日の3回関白の地位に就いた。嘉暦2年(1327年)正月19日、薨御。享年53。
文保百首・嘉元百首・伏見院三十首などに出詠。自邸でも歌会を行った。頓阿『井蛙抄』に「御風体格別也」と高い評価が見える。新後撰集初出。勅撰入集は計81首にのぼる。日記『後称念院関白記(冬平公記)』、有識書『後照念院殿装束抄』などの著作がある。正応4年(1291年)、西園寺実兼から琵琶秘曲である啄木の伝授を受けている。正和元年(1312年)、高階隆兼筆『絹本著色春日明神影向図』(重要文化財、藤田美術館所蔵)の幅中別紙に記を施した。
官歴
[編集]- 弘安7年(1284年)2月 - 叙爵
- 弘安8年(1285年)3月 - 従三位
- 正応元年(1288年)11月 - 権中納言
- 正安元年(1299年)4月 - 内大臣
- 正安3年(1301年)1月 - 従一位
- 乾元元年(1302年)11月 - 右大臣
- 乾元元年(1302年)12月 - 左大臣
- 延慶元年(1308年)11月 - 摂政、藤氏長者
- 延慶3年(1310年)12月 - 太政大臣
- 延慶4年(1311年)3月 - 関白
- 正和4年(1315年)9月22日 - 関白、藤氏長者
- 正中元年(1324年)12月27日 - 関白、藤氏長者
- 嘉暦2年(1327年)1月19日 - 薨去
摂政関白は、延慶元年(1308年)11月10日から正和2年(1313年)7月12日まで、正和4年(1315年)9月22日から正和5年(1316年)8月23日まで、正中元年(1324年)12月27日から嘉暦2年(1327)1月19日までの、都合3期にわたって務めている。
系譜
[編集]- 父:鷹司基忠
- 母:衣笠経平の娘
- 正室:中院通頼の娘
- 妻:中将長平の娘
- 男子:鷹司師平(1311-1353) - 叔父冬教の養子。
- 妻:近衛兼良の娘
- 養子
- 男子:鷹司冬教(1305-1337) - 実は弟。
脚注
[編集]関連項目
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