鶴川村
つるかわむら 鶴川村 | |
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廃止日 | 1958年2月1日 |
廃止理由 | 新設合併 町田町、鶴川村、忠生村、堺村 → 町田市 |
現在の自治体 | 町田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京都 |
郡 | 南多摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 東京都:南多摩郡町田町、忠生村、多摩村 神奈川県:川崎市、横浜市 |
鶴川村役場 | |
所在地 | 東京都南多摩郡鶴川村大字大蔵 |
座標 | 北緯35度35分20秒 東経139度28分02秒 / 北緯35.58883度 東経139.46733度座標: 北緯35度35分20秒 東経139度28分02秒 / 北緯35.58883度 東経139.46733度 |
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鶴川村(つるかわむら)は、かつて東京都南多摩郡に存在した村である。1958年(昭和33年)、近隣の1町2村との合併により町田市となり廃止された。
概要
[編集]現在の町田市の町名では金井町、金井、金井ヶ丘、藤の台、薬師台、野津田町、小野路町、鶴川、大蔵町、能ヶ谷、広袴町、広袴、真光寺町、真光寺、三輪町、三輪緑山にほぼ相当する。
現在でも町田市ではこの旧村域を「鶴川地域」「鶴川地区」としているほか、「鶴川」という町名として、また「鶴川市民センター」や「鶴川中学校」のように、施設や学校名にその名を残している。
村長
[編集]- 井上吉之助 1889年6月〜1891年5月
- 神蔵喜六 1891年5月〜1892年1月
- 井上吉之助 1892年7月〜1893年7月
- 榎本次郎 1893年10月〜1894年2月
- 須坂緝作 1894年3月〜1901年4月
- 斉藤周次郎 1901年5月〜1901年6月
- 河合充之助 1901年8月〜1909年9月
- 中溝五郎 1909年9月〜1916年7月
- 神蔵寿左 1916年9月〜1930年5月
- 石阪敬義 1930年7月〜1934年7月
- 須坂緝作 1934年7月〜1938年7月
- 橋本綽 1938年8月〜1946年5月
- 小島海三 1947年4月〜1951年4月
- 金子良助 1951年4月〜1958年1月
歴史
[編集]名称の由来
[編集]鶴川村を構成した8つの村がすべて鶴見川水系であったことから[1]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、金井村、野津田村、小野路村、大蔵村、能ヶ谷村、広袴村、真光寺村、三輪村が合併して神奈川県南多摩郡鶴川村が成立。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 三多摩が神奈川県から東京府へ移管。東京府南多摩郡鶴川村となる。
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 小田急線鶴川駅が開業。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制により、東京都南多摩郡鶴川村となる。
- 1958年(昭和33年)2月1日 - 町田町、忠生村、堺村と対等合併、町田市となる。
地理
[編集]交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]ゆかりの有名人
[編集]- 青木昌吉
- 東江一紀
- 畦地梅太郎
- 石川桂郎 - 1946年から鶴川村能ヶ谷に居住し、以降その地で過ごした。
- 石阪丈一
- 石坂昌孝
- 市川治
- 伊藤公介
- 伊藤俊輔 (政治家)
- 井上友一郎[2]
- 今井邦子[2]
- 江坂彰
- 榎本勝起
- 大蔵弥右衛門
- 大迫傑
- 岡田宏明
- 生越忠
- かがわあつこ
- 神蔵器
- 神近市子[2]
- 河上徹太郎 - 1945年5月25日の東京大空襲で焼け出されてから2年間、鶴川村の白洲邸に寄寓。
- 川口武彦
- 木下晋
- 国広富之
- 黒川智花
- 小池要之助
- 古賀浩靖
- 小島鹿之助
- 小山貴博-イラン研究者、函館大谷短期大学助教
- 近藤等則
- 斎藤澪
- 定松正
- 柴田徳次郎 - 戦後C級戦犯とされ公職追放を受けてから7年間居住していた。
- 白洲次郎 - 1940年に鶴川村能ヶ谷の古い農家を購入し、疎開した。
- 白洲正子 - 白洲次郎の妻で、随筆家。
- 新庄哲夫
- 関根花観
- 醍醐直幸
- 高木一彦(国語学)
- 竹田青嗣
- 谷原章介[3]
- 千坂恭二
- 土岐田洸平
- 戸羽太
- 内記良一
- 中村幸安
- 中山秀征
- 西山由之
- 根本博 - 大日本帝国陸軍及び中華民国陸軍の軍人。現在の能ヶ谷に居住していた。
- 芳賀舞波
- 早坂一郎
- 樋笠数慶
- 土方正巳
- 姫田忠義
- 福田和香子
- 星野晃一
- 細川護貞 - 鶴川村真光寺町に別荘があった。
- 堀越増興
- 松田幸雄
- 三浦建太郎
- 三浦公亮
- 溝江明香
- 村手義治
- 村野常右衛門
- 森野宗明
- 柳兼子
- 柳宗理
- 山内あゆ
- 山内豊徳 - 1987年3月から死去まで薬師台在住。
- 山田卓也
- 山中桂一
- 渡辺茂(音楽評論家)
脚注
[編集]- ^ 町田の歴史をさぐる編修委員会『町田の歴史をさぐる』、1978年
- ^ a b c https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/turukawa/keii/kanri/turukawaekimaekoukyousisetusimin.files/kaigisityousono2s.pdf
- ^ 小松春生. “【Jリーグと私】谷原章介(俳優)〜地元・町田から夢は世界、愛するゼルビアの旗頭に〜”. サッカーキング. 2021年3月19日閲覧。