上高井郡
人口16,780人、面積117.68km²、人口密度143人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の1町1村を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町1村に須坂市および長野市の一部(若穂各町・松代町大室および屋島の一部)を加えた区域にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領(中野代官所) | 16村 | 九反田村、駒場村、○井上村、○米持村、○北岡村、○亀倉村、塩野村、○栃倉村、○米子村、黒部村、○松村新田村、○押切村、○高井野村、○牧村、○矢島村、○雁田村 |
幕府領(松代藩預地) | 6村 | ○中島村、大島村、○村山村、○飯田村、○山王島村、○福原村 | |
藩領 | 信濃松代藩 | 11村 | ○大室村、○川田村、○仙仁村、○小出村、福島村、○八町村、○宇原村、○仁礼村、○小河原村、●○保科村、赤野田新田村 |
信濃須坂藩 | 15村 | ○灰野村、○野辺村、八重森村、坂田村、○塩川村、沼目村、○高梨村、○小島村、五閑村、中子塚村、○須坂村、○綿内村、○小山村、○日滝村、大日向村[2] | |
越後椎谷藩 | 5村 | ○奥山田村、○六川村、○清水村、○羽場村、○中山田村 | |
幕府領・藩領 | 幕府領(松代藩預地)・松代藩 | 3村 | ○幸高村、○相之島村、○小布施村 |
幕府領(松代藩預地)・椎谷藩 | 1村 | 中条村 |
- 慶応4年2月17日(1868年3月10日) - 幕府領の一部(中野代官所)が名古屋藩の管轄となる。
- 明治2年2月30日(1869年4月11日) - 幕府領の一部(中野代官所)が伊那県の管轄となる。
- 明治3年
- 明治4年
- 明治初年 - 宇原村が仁礼村に、赤野田新田村が保科村にそれぞれ合併。(55村)
- 明治8年(1875年) - 駒場村・中山田村が合併して中山村となる。(54村)
- 明治9年(1876年)(1町44村)
- 5月
- 松村新田村・中条村が合併して中松村となる。
- 小出村が川田村に合併。
- 9月 - 須坂村が改称して須坂町となる。
- 黒部村・高井野村が合併して高井村となる。
- 押切村・羽場村が合併して押羽村となる。
- 矢島村・中子塚村・六川村・清水村が合併して都住村となる。
- 灰野村・坂田村・大日向村が合併して園里村となる。
- 5月
郡発足以降の沿革
- 明治12年(1879年)1月4日
- 明治15年(1882年) - 園里村の一部が分立して坂田村となる。(1町46村)
- 明治19年(1886年)12月14日 - 綿内村の一部(土屋坊区)・福島村の一部(福島新田区)が上水内郡北長池村の一部と合併して上水内郡屋島村となる。
- 明治20年(1887年)6月17日 - 仙仁村が仁礼村に合併。(1町45村)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・須坂市。(1町14村)
- 須坂町 ← 須坂町、小山村[一部]
- 保科村(単独村制、現・長野市)
- 川田村 ← 川田村、牛島村(現・長野市)
- 綿内村(単独村制、現・長野市)
- 井上村 ← 井上村、幸高村、福島村、中島村、九反田村、米持村
- 高甫村 ← 八町村、野辺村
- 仁礼村 ← 仁礼村、亀倉村、栃倉村、米子村、塩野村
- 小山村 ← 小山村[大部分]、坂田村、園里村
- 日野村 ← 五閑村、八重森村、村山村、塩川村、沼目村、高梨村
- 豊洲村 ← 小島村、小河原村、相之島村
- 日滝村(単独村制)
- 高井村 ← 高井村、牧村(現・高山村)
- 山田村 ← 中山村、奥山田村(現・高山村)
- 都住村 ← 都住村、中松村、雁田村(現・小布施町)
- 小布施村 ← 小布施村、福原村、大島村、飯田村、山王島村、北岡村、押羽村(現・小布施町)
- 大室村が埴科郡寺尾村(現・長野市)の一部となる。
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治25年(1892年)1月29日 - 小山村が改称して豊丘村となる。
- 大正11年(1922年)7月1日 - 豊丘村の一部(小山・坂田)が須坂町に編入。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和11年(1936年)12月1日 - 日滝村が須坂町に編入。(1町13村)
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)1月1日(1町6村)
- 井上村・高甫村が須坂市に編入。
- 豊丘村・仁礼村が合併して東村が発足。
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 高井村・山田村が合併して高山村が発足。(1町5村)
- 昭和34年(1959年)4月1日 - 川田村・保科村・綿内村が合併して若穂町が発足。(2町2村)
- 昭和41年(1966年)10月16日 - 若穂町が長野市・篠ノ井市・更級郡川中島町・信更村・更北村・埴科郡松代町・上水内郡七二会村と合併し、改めて長野市が発足、郡より離脱。(1町2村)
- 昭和46年(1971年)4月30日 - 東村が須坂市に編入。(1町1村)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
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川田村 | 川田村 | 川田村 | 川田村 | 昭和34年4月1日 若穂町 | 昭和41年10月16日 長野市 | 長野市 | 長野市 | |||
保科村 | 保科村 | 保科村 | 保科村 | |||||||
綿内村 | 綿内村 | 綿内村 | 綿内村 | |||||||
仁礼村 | 仁礼村 | 仁礼村 | 仁礼村 | 昭和30年1月1日 東村 | 昭和46年4月30日 須坂市に編入 | 須坂市 | 須坂市 | |||
小山村 | 明治25年1月29日 豊丘村 | 豊丘村 | 豊丘村 | 豊丘村 | ||||||
大正11年7月1日 須坂町に編入 (小山・坂田地区) | 須坂町 | 昭和29年2月11日 須坂町 | 昭和29年4月1日 市制 | 須坂市 | ||||||
須坂町 | 須坂町 | |||||||||
日滝村 | 日滝村 | 昭和11年12月1日 須坂町に編入 | ||||||||
豊洲村 | 豊洲村 | 豊洲村 | ||||||||
日野村 | 日野村 | 日野村 | ||||||||
井上村 | 井上村 | 井上村 | 井上村 | 昭和30年1月1日 須坂市に編入 | ||||||
高甫村 | 高甫村 | 高甫村 | 高甫村 | |||||||
小布施村 | 小布施村 | 小布施村 | 昭和29年2月1日 町制 | 小布施町 | 小布施町 | 小布施町 | ||||
都住村 | 都住村 | 都住村 | 昭和29年11月1日 小布施町に編入 | |||||||
高井村 | 高井村 | 高井村 | 高井村 | 昭和31年9月30日 高山村 | 高山村 | 高山村 | ||||
山田村 | 山田村 | 山田村 | 山田村 |
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 清須勝祥 | 明治12年(1879年)1月4日 | ||
2 | 伊藤弥一郎 | 明治32年(1899年)5月 | ||
3 | 福武勇治郎 | 明治37年(1904年)4月 | ||
4 | 樋口兼泰 | 明治39年(1906年)7月 | ||
5 | 甲田慶治郎 | 明治43年(1910年)4月 | ||
6 | 渡辺盛太郎 | 大正3年(1914年)9月 | ||
7 | 藤崎供義 | 大正5年(1916年)7月 | ||
8 | 横田克己 | 大正7年(1918年)7月 | ||
9 | 岡本敬造 | 大正10年(1921年)3月 | ||
10 | 大久保幸次郎 | 大正11年(1922年)7月 | ||
11 | 杉原定寿 | 大正12年(1923年)3月 | ||
12 | 志賀市蔵 | 大正13年(1924年)7月 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
参考文献
- 『長野県史 近代史料編 第2巻 郡政』
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 20 長野県、角川書店、1990年7月1日。ISBN 4040012003。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 長野県公式ホームページ 現在の市町村名から合併の経過を調べる
- 「長野県公式」に記載されているが「旧高旧領」に記載されていない村は枝郷とみなし、本項では割愛した。
関連項目
先代 高井郡 | 行政区の変遷 1879年 - | 次代 (現存) |