名寄駐屯地

名寄駐屯地
航空写真(2011年、国土地理院撮影)
航空写真(2011年、国土地理院撮影)
位置
地図
所在地 北海道名寄市内淵84番地
座標 北緯44度23分9.3秒 東経142度26分27.0秒 / 北緯44.385917度 東経142.440833度 / 44.385917; 142.440833
概要
駐屯地司令 第3即応機動連隊長 兼務
主要部隊 第3即応機動連隊
第2偵察隊
第4高射特科群
ほか

開設年 1952年
テンプレートを表示

名寄駐屯地(なよろちゅうとんち、JGSDF Camp Nayoro)とは、北海道名寄市内淵84番地に所在し、第3即応機動連隊などが駐屯している陸上自衛隊駐屯地である。

概要

[編集]

第1線級の戦闘部隊が配置された駐屯地としては日本最北端に位置し、冷戦時代は文字通り最前線であった。

名寄駐屯地司令は、1等陸佐で第3即応機動連隊長が兼務。最寄の演習場は、名寄演習場であり駐屯地に隣接している(後述)。隷属する分屯地に稚内分屯地礼文分屯地がある。

2004年(平成16年)から派遣された第1次イラク復興支援群は第3普通科連隊を基幹として連隊長・番匠幸一郎1佐(当時)が群長だった。

沿革

[編集]

保安隊名寄駐屯地

陸上自衛隊名寄駐屯地

  • 1954年(昭和29年)
    • 7月1日:
    1. 陸上自衛隊設置に伴い名寄駐とん地が開設される[5]
    2. 第62連隊第2大隊を第2特科連隊第2大隊に改称。
    • 9月25日:第2特車大隊が編成完結。
  • 1955年(昭和30年)9月9日:第2特車大隊が上富良野駐屯地へ移駐。
  • 1956年(昭和31年)10月25日:稚内分屯地が開設[4]
  • 1957年(昭和32年)12月15日:第301地区施設隊が旭川駐屯地から移駐[4]
  • 1962年(昭和37年)1月18日:第2管区隊の第2師団への改編。
  1. 第2特科連隊第2大隊を母体に第4大隊を新編。
  2. 第2偵察中隊を第2偵察隊に改称。
  1. 第2大隊が本部管理中隊を併せて4個中隊編成になる。
  2. 第4大隊が旭川駐屯地へ移駐。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月27日:第4高射特科群第105高射直接支援隊を廃止。
    • 3月28日:北部方面後方支援隊第101高射直接支援大隊第2直接支援中隊を新編。
  • 2004年(平成16年)3月23日:第341施設中隊を廃止。
  • 2008年(平成20年)3月26日:第2後方支援連隊の改編(第2整備大隊部隊の新編)。
  1. 第1普通科支援中隊(第3普通科連隊を支援)を新編。
  2. 特科直接支援中隊第2直接支援小隊(第2特科連隊第2大隊を支援)を新編。
  3. 偵察直接支援小隊(第2偵察隊を支援)を新編。
  • 2009年(平成21年)3月26日:第2特科連隊第2特科大隊の改編。
  1. 第4射撃中隊、第5射撃中隊および第6射撃中隊を廃止し、第3射撃中隊および第4射撃中隊を再編し編成完結。
  2. 99式自走155mmりゅう弾砲を配備。
  • 2011年(平成23年)3月末:自動車教習所が廃止。
  • 2021年(令和3年)10月:第3即応機動連隊準備隊が臨時編成、同部隊に16式機動戦闘車が配備。入魂式が行われた[6]
  • 2022年(令和4年)
    • 3月16日:
    1. 第3普通科連隊を廃止。
    2. 第2後方支援連隊第2整備大隊第1普通科支援中隊を廃止。
    • 3月17日:第2師団の即応機動師団化
    1. 第3即応機動連隊を新編。
    2. 第2後方支援連隊第2整備大隊即応機動直接支援中隊(第3即応機動連隊を支援)を新編。

駐屯部隊

[編集]

北部方面隊隷下部隊

[編集]

防衛大臣直轄部隊

[編集]

過去の駐屯部隊

[編集]
  • 第2特車大隊:1954年(昭和29年)9月25日から1955年(昭和30年)9月9日までの間。上富良野駐屯地へ移駐。
  • 第301地区施設隊:1957年(昭和32年)12月15日(旭川駐屯地から移駐)から1988年(昭和63年)3月24日(廃止)までの間。第341施設中隊に改編。
  • 第2特科連隊第第4大隊:1962年(昭和37年)1月18日から1995年(平成07年)3月28日までの間。旭川駐屯地へ移駐。
  • 第341施設中隊:1988年(昭和63年)3月25日(新編)から2004年(平成16年)3月23日廃止までの間。

名寄演習場

[編集]

名寄駐屯地に隣接しており、主に普通科職種の小規模演習や各種訓練に使用される。演習場入口付近には自動車教習所が設けられており、大型自動車免許などが取得可能であったが、整理縮小のため23年3月末をもって教習所は廃止された。廃止後は大型・大型特殊・牽引は旭川駐屯地に、自動2輪は真駒内・東千歳などの各自動車教習所に移管されている。

最寄の幹線交通

[編集]

注釈・出典

[編集]
  1. ^ 保安庁法施行令の一部を改正する政令(昭和27年12月1日政令第472号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2017年2月13日閲覧。
  2. ^ 朝雲新聞社編集局 編『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』朝雲新聞社、2000年9月15日、250頁。ISBN 978-4750980157 
  3. ^ 朝雲新聞社編集局 編『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』朝雲新聞社、2000年9月15日、251頁。ISBN 978-4750980157 
  4. ^ a b c d 『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』(山藤印刷株式会社/編集,陸上自衛隊北部方面総監部/監修 2003)
  5. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)
  6. ^ 陸上自衛隊 名寄駐屯地【公式】 [@GSDF_Nayoro] (2021年10月25日). "#名寄駐屯地 に所在する #第3普通科連隊 は「入魂式」を行いました。". X(旧Twitter)より2021年10月27日閲覧

関連文献

[編集]
  • 福家 章二『口撃・笑撃・写撃 陸上自衛隊名寄駐屯地広報最前線』文芸社、2005年。 

外部リンク

[編集]