駒門駐屯地
駒門駐屯地 | |
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位置 | |
所在地 | 静岡県御殿場市駒門5-1 |
座標 | 北緯35度14分50秒 東経138度54分49秒 / 北緯35.24722度 東経138.91361度座標: 北緯35度14分50秒 東経138度54分49秒 / 北緯35.24722度 東経138.91361度 |
概要 | |
駐屯地司令 | 機甲教導連隊長 |
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開設年 | 1960年 |
駒門駐屯地(こまかどちゅうとんち、JGSDF Camp Komakado)は、静岡県御殿場市駒門5-1に所在し、機甲教導連隊等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。
最寄の演習場は東富士演習場と北富士演習場。駐屯地司令は、機甲教導連隊長が兼務。
沿革
[編集]- 大日本帝国陸軍
- 進駐アメリカ陸軍
- 戦後、進駐アメリカ陸軍が駐留し「サウスキャンプ」と呼ばれる。
- 陸上自衛隊駒門駐屯地
- 1960年(昭和35年)
- 3月15日:
- 駒門駐屯地として発足[1]。
- 第105教育大隊が武山駐屯地から駒門駐屯地板妻分屯地へ移駐。
- 第106教育大隊が武山駐屯地から駒門駐屯地へ移駐。
- 発足当初の駐屯部隊は第105教育大隊(板妻分屯地)、第106教育大隊、駒門駐屯地業務隊、会計隊、基地通信隊、警務隊。
- 4月:
- 1961年(昭和36年)
- 3月25日:富士燃料出張所が富士駐屯地から移駐。
- 8月17日:第317地区施設隊が北富士駐屯地に移駐。
- 12月:第105教育大隊が駒門駐屯地板妻分屯地から武山駐屯地に移駐。
- 1962年(昭和37年)
- 1964年(昭和39年)8月1日:第106教育大隊が廃止。
- 1969年(昭和44年)3月25日:第1特科連隊第6大隊が宇都宮駐屯地から移駐。
- 1992年(平成 4年)3月27日:第1特科連隊第6大隊を廃止し、第1高射特科大隊として新編。
- 2001年(平成13年)3月26日:第352施設中隊が、習志野駐屯地から移駐し、第364施設中隊に改編。
- 2002年(平成14年)3月27日:部隊改編。
- 2005年(平成17年)3月 :静岡地方連絡部(現地方協力本部)富士地域援護センター(板妻駐屯地)が移駐。
- 2007年(平成19年)3月28日:国際活動教育隊が新編。駐屯地司令職を第1機甲教育隊長から国際活動教育隊長に移管。
- 2015年(平成27年)3月26日:東部方面会計隊の改編に伴い、第410会計隊が廃止され、第433会計隊駒門連絡班が配置される。
- 2018年(平成30年)3月27日:部隊の移駐。
- 2019年(平成31年)3月26日:部隊改編。
- 2022年(令和4年)3月16日:部隊改編。
駐屯部隊・機関
[編集]防衛大臣直轄部隊・機関
[編集]陸上総隊隷下部隊
[編集]東部方面隊隷下部隊・機関
[編集]- 第1師団
- 東部方面システム通信群
- 第105基地システム通信大隊
- 第305基地システム通信中隊
- 駒門派遣隊
- 第305基地システム通信中隊
- 第105基地システム通信大隊
- 東部方面会計隊
- 第433会計隊
- 駒門連絡班
- 第433会計隊
- 駒門駐屯地業務隊
- 陸上自衛隊関東補給処
- 富士燃料出張所
共同の機関
[編集]- 自衛隊静岡地方協力本部
- 富士地域援護センター
最寄の幹線交通
[編集]- 高速道路:東名高速道路御殿場IC、裾野IC
- 一般道:国道246号、国道469号、静岡県道155号滝ケ原富士岡線、静岡県道394号沼津小山線
- 鉄道:JR御殿場線富士岡駅
- 路線バス:富士急モビリティ特別支援学校線、三島線大坂停留所
- 港湾:清水港(国際拠点港湾)、田子の浦港(重要港湾)、横浜港(国際戦略港湾)
- 飛行場:羽田空港
脚注
[編集]- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和35年政令第24号)
- ^ ウオーマシンレポートNo50 陸上自衛隊の戦車部隊-その歴史と現状 PANZER12月号臨時増刊619号,P107,アルゴノート社,2016年
- ^ 戦車教導隊及び偵察教導隊の廃止行事及び機甲教導連隊新編行事2019年3月26日、陸上自衛隊ホームページ
外部リンク
[編集]- 駒門駐屯地ウェブサイト
- 陸上自衛隊 駒門駐屯地@公式(@JGSDF_Komakado) - Twitter