普通科教導連隊
普通科教導連隊 | |
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記念式典にて敬礼を行う普通科教導連隊長 | |
創設 | 1956年(昭和31年)1月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
兵種/任務 | 機械化歩兵、教育支援、戦術研究 |
所在地 | 静岡県 御殿場市 |
編成地 | 滝ヶ原 |
愛称 | 普教連 |
上級単位 | 富士教導団 |
担当地域 | 日本全国 |
普通科教導連隊(ふつうかきょうどうれんたい、JGSDF Infantry School Regiment(Mechanized):ISchR)は、静岡県御殿場市の滝ヶ原駐屯地に駐屯する陸上自衛隊富士教導団隷下の普通科部隊である。
概要
[編集]富士学校の教育支援や戦術の研究、教範の作成支援などを行い、全普通科部隊の範となるべく創設された。連隊長は、1等陸佐が充てられ、連隊本部、本部管理中隊、4個の普通科中隊、重迫撃砲中隊、教育隊からなる。各普通科中隊は装備する車両が第1普通科中隊は89式装甲戦闘車、第2普通科中隊は軽装甲機動車、第3普通科中隊は高機動車、第4普通科中隊は96式装輪装甲車というようにそれぞれ異なっている。
また、スポーツ面においては富士登山駅伝で「滝ヶ原自衛隊」として参加、第1空挺団と毎年優勝争いをしている。
2014年(平成26年)9月に発生した御嶽山噴火で89式装甲戦闘車が災害派遣で出動した[1][2]。
沿革
[編集]- ※ 新編時の編成(連隊本部、本部中隊、管理中隊、第1大隊、第2大隊、重迫撃砲中隊)[3]
- 1958年(昭和33年)4月1日:陸曹教育隊を設置。
- 1960年(昭和35年)4月11日:滝ヶ原分屯地(現滝ヶ原駐屯地)開設によりに富士駐屯地から移駐。滝ヶ原分屯地司令に職務指定。
- 1961年(昭和36年)8月17日:富士教導隊が新編され、同隊に配属(分屯地司令職は富士教導隊長に移譲)。
- 1965年(昭和40年)
- 7月26日:富士教導隊長から滝ヶ原分屯地司令職務を継承。
- 8月3日:富士教導隊が廃止となり、富士教導団が新編され隷下に編合。
- 1968年(昭和43年)3月1日:装甲輸送隊が新編。
- 1974年(昭和49年)4月11日:滝ヶ原分屯地が駐屯地に昇格。滝ヶ原駐屯地司令に職務指定。
- 1988年(昭和63年)3月26日:装甲輸送隊を廃止し、第4普通科中隊、第5普通科中隊に編入。
- 1994年(平成 6年)3月28日:対戦車中隊が新編。
- 2002年(平成14年)3月27日:後方支援体制変換に伴い、整備部門を東部方面後方支援隊富士教育直接支援大隊に移管。
- 2008年(平成20年)3月26日:第5普通科中隊が廃止。89式装甲戦闘車を第1普通科中隊へ供用替え。
- 2018年(平成30年)3月27日:対戦車中隊が廃止[4]。79重MATおよびMPMSは全国の部隊に管理換えされ、各普通科中隊に対戦車小隊を編成。
- 2023年(令和 5年)3月13日:各普通科中隊の対戦車小隊を廃止し、本部管理中隊に対戦車小隊を編成[5]。
部隊編成
[編集]- 普通科教導連隊本部
- 本部管理中隊「普教‐本」
- 中隊本部
- 連隊本部班:82式指揮通信車
- 情報小隊
- 通信小隊
- 対戦車小隊:中距離多目的誘導弾
- 施設作業小隊
- 補給小隊:3 1/2tトラック
- 衛生小隊
- 狙撃班
- 第1普通科中隊「普教‐1」:89式装甲戦闘車
- 第2普通科中隊「普教‐2」:軽装甲機動車
- 第3普通科中隊「普教‐3」:高機動車
- 第4普通科中隊「普教‐4」:96式装輪装甲車
- 重迫撃砲中隊「普教‐重」:120mm迫撃砲 RT
- 新隊員教育隊「普教‐本」
整備支援部隊
[編集]- 東部方面後方支援隊富士教育直接支援大隊(滝ヶ原駐屯地):2002年(平成14年)3月27日から
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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普通科教導連隊長 兼 滝ヶ原駐屯地司令 | 1等陸佐 | 山口勝 | 2024年 | 8月 1日陸上自衛隊富士学校普通科部教育課長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 渡部長作 | 1956年 | 1月25日 - 1958年 3月27日陸上自衛隊富士学校総合研究部長 | |
2 | 橋詰勇 | 1957年 | 3月28日 - 1959年 6月28日第3管区総監部幕僚長 →1957年3月12日 陸上自衛隊富士学校付 | 第3管区総監部付 →1959年8月13日 第2教育団長 兼 大久保駐とん地司令 |
3 | 税所三郎 | 1959年 | 8月 1日 - 1961年 8月16日第21普通科連隊長 | 富士教導隊長 兼 滝ヶ原分とん地司令 |
4 | 信吉治男 | 1961年 | 8月17日 - 1963年 7月31日陸上自衛隊富士学校学校教官 | 第3教育団副団長 |
5 | 栗原重厚 | 1963年 | 8月 1日 - 1965年 7月15日第10普通科連隊長 兼 滝川駐とん地司令 | 自衛隊福岡地方連絡部長 |
6 | 副田忠夫 | 1965年 | 7月16日 - 1966年 7月15日第32普通科連隊長 | 富士教導団副団長 |
7 | 高木敏夫 | 1966年 | 7月16日 - 1968年 3月15日陸上自衛隊富士学校研究部副部長 | 富士教導団副団長 |
8 | 深水宏 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 3月15日陸上自衛隊富士学校普通科教育部 戦術班長 | 陸上自衛隊富士学校研究部第2課長 |
9 | 八木正忠 | 1970年 | 3月16日 - 1971年 3月15日第8普通科連隊長 兼 米子駐とん地司令 | 富士教導団副団長 |
10 | 梶清二 | 1971年 | 3月16日 - 1973年 3月15日第41普通科連隊長 兼 別府駐とん地司令 | 富士教導団本部付 →1973年5月24日 停年退官 |
11 | 鈴木敏 | 1973年 | 3月16日 - 1974年 3月15日第3普通科連隊長 兼 名寄駐とん地司令 | 陸上自衛隊富士学校企画室長 |
12 | 重松日出男 | 1974年 | 3月16日 - 1975年 7月15日第21普通科連隊長 兼 秋田駐とん地司令 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
13 | 山口短之 | 1975年 | 7月16日 - 1977年 3月15日陸上自衛隊富士学校学校教官 | 陸上幕僚監部第5部学校班長 |
14 | 狩野泰輔 | 1977年 | 3月16日 - 1979年 1月 9日第1師団司令部第3部長 | 中部方面総監部防衛部長 |
15 | 花山勝音 | 1979年 | 1月10日 - 1981年 3月15日空挺教育隊長 | 第13師団司令部幕僚長 |
16 | 秦政美 | 1981年 | 3月16日 - 1982年 8月 1日陸上自衛隊幹部学校主任教官 | 第4師団司令部幕僚長 |
17 | 秋元良夫 | 1982年 | 8月 2日 - 1984年 6月30日北部方面総監部人事部募集課長 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課長 |
18 | 坂本憲昭 | 1984年 | 7月 1日 - 1986年 7月31日陸上自衛隊富士学校学校教官 | 東北方面総監部監察官付 →1988年3月16日 船岡駐屯地業務隊長 |
19 | 平尾次郎 | 1986年 | 8月 1日 - 1988年 7月31日陸上自衛隊幹部学校研究員 | 陸上自衛隊富士学校普通科部 研究課長 |
20 | 廣岡公義 | 1988年 | 8月 1日 - 1991年 3月15日第11師団司令部第3部長 | 自衛隊長野地方連絡部長 |
21 | 寺本功 | 1991年 | 3月16日 - 1994年 3月31日東北方面総監部人事部人事課長 | 自衛隊茨城地方連絡部長 |
22 | 亀田津治男 | 1994年 | 4月 1日 - 1996年12月15日第12師団司令部第3部長 | 中部方面総監部防衛部長 |
23 | 榎本眞己 | 1996年12月16日 - 1998年11月30日 | 第6師団司令部第3部長 | 防衛大学校教授 |
24 | 福井祐輔 | 1998年12月 | 1日 - 2001年 3月31日第2陸曹教育隊長 | 防衛大学校教授 |
25 | 佐藤明 | 2001年 | 4月 1日 - 2003年 7月31日陸上自衛隊富士学校付 | 中部方面総監部調査部長 |
26 | 米満義人 | 2003年 | 8月 1日 - 2005年 7月31日第6師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊幹部学校主任教官 |
27 | 井上敏憲 | 2005年 | 8月 1日 - 2008年 3月31日陸上幕僚監部人事部援護業務課 援護班長 | 陸上自衛隊東部方面情報保全隊長 |
28 | 中津清俊 | 2008年 | 4月 1日 - 2010年11月30日陸上自衛隊小平学校語学教育部長 | 中央即応集団司令部監察官 |
29 | 佐藤文章 | 2010年12月 | 1日 - 2012年 7月31日西部方面総監部総務部総務課長 | 自衛隊高知地方協力本部長 |
30 | 麻生竜伸 | 2012年 | 8月 1日 - 2015年 7月31日第11旅団司令部第3部長 | 陸上自衛隊関東補給処総務部長 |
31 | 河合龍也 | 2015年 | 8月 1日 - 2017年11月30日第14旅団司令部第3部長 | 自衛隊香川地方協力本部長 |
32 | 中嶋豊 | 2017年12月 | 1日 - 2019年12月19日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 中部方面指揮所訓練支援隊長 |
33 | 近藤浩行 | 2019年12月20日 - 2021年12月21日 | 北部方面総監部装備部後方運用課長 | 陸上自衛隊会計監査隊 中部方面分遣隊長 |
34 | 新田幸司 | 2021年12月22日 - 2024年 | 7月31日陸上自衛隊教育訓練研究本部 企画調整官 | 第31普通科連隊長 |
35 | 山口勝 | 2024年 | 8月 1日 -陸上自衛隊富士学校普通科部教育課長 |
主要装備
[編集]- 89式装甲戦闘車
- 96式装輪装甲車
- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 20式5.56mm小銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 12.7mm重機関銃
- 84mm無反動砲
- 01式軽対戦車誘導弾
- 中距離多目的誘導弾
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
- 無人航空機 JUXS-S1
廃止部隊
[編集]- 装甲輸送隊「普教-装」:装甲車24両を装備し1個中隊200名を装甲車化できた[6]。1968年(昭和43年)3月1日(新編)から1988年(昭和63年)3月26日(廃止)の間。
- 第5普通科中隊「普教-5」:2008年(平成20年)3月廃止。
- 対戦車中隊「普教-対戦」:2018年(平成30年)3月27日廃止。
脚注
[編集]- ^ YOMIURI ONLINE 装甲車も投入、550人体制で捜索…御獄山噴火 2014年9月28日
- ^ 朝日新聞DIGITAL 強い硫黄臭、救助隊を阻む 御嶽山、多くの搬送を断念 2014年9月28日
- ^ “普通科教導連隊”. 滝ケ原駐屯地. 2023/8/15閲覧。
- ^ 富士学校OB会 岳友会. “岳友 改編特集号” (PDF). 陸上自衛隊富士学校. p. 2. 2018年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月15日閲覧。
- ^ @CAMP_TAKIGAHARA (2023年3月24日). "陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地". X(旧Twitter)より2023年3月24日閲覧。
- ^ 『月刊パンツアー』サンデーアート社、昭和55-07-01、P6頁。
出典
[編集]- 『明朗・闊達・和楽 陸上自衛隊富士学校・富士駐屯地開設50周年記念誌』(陸上自衛隊富士学校・富士駐屯地編 H16)
- “防衛省人事発令”. 2015年8月1日閲覧。