1962年のテレビ (日本)
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1962年のテレビ(1962ねんのテレビ)では、1962年(昭和37年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
できごと
[編集]- 2月14日 - テレビ西日本(TNC)が福岡市高宮に福岡放送局(JOJY-TV[注 1])を開局、これまでの北九州・関門エリアから福岡県全域にエリアが広がる。
- 2月27日 - 元NHKアナウンサーの高橋圭三[注 2]がこの日、日本初のフリーアナウンサーに転向。
- 3月1日 - テレビ受信契約者が1000万突破(普及率48.5%)。
- 3月27日 - NHK名古屋教育テレビジョン放送開始。
- 4月1日
- 4月2日 - NHK連続テレビ小説第2作『あしたの風』放送開始( - 1963年3月)。ここから8時15分開始、土曜日まで放送されるようになる(2010年の第82作『ゲゲゲの女房』以降現在の8時開始に、また2020年の第102作『エール』以降再び金曜日までの放送となり、現在に至る)[注 4]。
- 4月23日 - 日本テレビ、この日の「日本プロレス中継」特番にて、力道山VSフレッド・ブラッシーの試合中にブラッシーが流血する事故があり、それを見ていた老人3名が、更に同月27日の通常放送でも、グレート東郷VSブラッシーの試合中に東郷が流血した場面が放送され、それを見ていた老人3名が各々ショック死(実際には2試合合計で20人前後がショック死したとされる)する事故があった(ちなみに、この2試合はモノクロで放映された)。この影響を考慮し日本テレビはその後、同番組に於いてのカラー放送を一時自粛したり、同番組内での場外乱闘や流血シーンの放映のアップを避けるような対策をとった[1]。
- 5月6日 - 朝日放送(現・朝日放送テレビ)[注 5]制作、TBS系で藤田まこと主演のコメディ時代劇『てなもんや三度笠』(前田製菓一社提供)放送開始。藤田の「あたり前田のクラッカー」の決め台詞で人気を博す( - 1968年3月)。
- 6月10日 - 電電公社が、テレビネット用のマイクロ波回線を東京-北陸-大阪間で高規格化し、カラーテレビ伝送の暫定運用が開始(翌月1日から正式開始)。これにより、東京のNHK総合テレビと日本テレビからの番組が、NHK大阪放送局(総合テレビ)と読売テレビ放送へそれぞれ、同回線を経由しての放送が開始され、ネット回線での東京・大阪同時カラー放送が実現する。[注 6][2][3]
- 7月14日 - TBS系で1955年の開局以来放送されてきたテレビドラマ『日真名氏飛び出す』が放送終了。
- 7月21日 - 日本テレビ系でオーディション番組『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』(味の素一社提供)が放送開始。同番組に出演したザ・ドリフターズが人気者になる( - 1965年9月25日)。
- 7月22日 - 北陸3県(富山・石川・福井)のNHK総合と民放テレビ3局(北日本放送、北陸放送、福井放送)が、地方局初のカラー放送を開始する。
- 8月4日 - 日本初のテレビ専門誌『週刊TVガイド』(東京ニュース通信社)創刊。創刊号表紙は高橋圭三。
- 9月1日 - 広島テレビ(HTV)[注 7]、NHK山口・福岡両放送局の各教育テレビ放送開始。
- 9月20日 - テレビ視聴率調査会社のビデオリサーチが設立。
- 10月1日
- NHK総合、全日放送を開始[4]。
- 仙台放送(OX)開局[注 8]。
- TBS系で日本初のキャスター制のニュース番組『JNNニュースコープ』放送開始( - 1990年3月)。
- 10月7日 - NHK杯テレビ囲碁トーナメント放送開始。
- 10月15日 - TBS系で『チャコちゃんシリーズ→ケンちゃんシリーズ』の第1作『パパの育児手帳』が開始、中断を置きながら1982年9月までシリーズは続く。
- 11月1日 - NHK山形、新潟、福井、そして長野の各放送局の教育テレビが放送開始。
- 11月13日 - フジテレビ系にて1964年東京オリンピック協力のクイズ番組『地上最大のクイズ』(日清食品一社提供)放送開始( - 1965年5月25日)[注 9]。
- 12月1日 - NHK大分教育テレビジョン放送開始。
- 12月3日
- 12月14日 日本テレビ、フランス国営放送(RTF)と、ニュース、ドキュメンタリー、及びドラマ番組交換協定を締結。[5][6]
- 12月27日 - TBS系で『第4回日本レコード大賞』生中継。大賞は橋幸夫・吉永小百合の「いつでも夢を」。
- 12月28日 - NHK鳥取・松江両放送局の各教育テレビ放送開始。
- 12月31日 - 『第13回NHK紅白歌合戦』放送。
開局
[編集]- 1月8日 - NHK静岡教育テレビジョン
- 3月27日 - NHK名古屋教育テレビジョン
- 4月1日
- 6月1日
- 9月1日
- 10月1日 - 仙台放送
- 11月1日
- 12月1日
- 12月28日
商号変更
[編集]- 1月1日 - ラジオ高知→高知放送
既存局のカラー放送開始
[編集]- 7月22日(いずれも地方初)
テレビ番組
[編集]テレビドラマ
[編集]- NHK
- TBS系
- パパの育児手帳(主演:四方晴美)
- 三波春夫アワー(朝日放送制作。主演:三波春夫)
- シャボン玉ミコちゃん(朝日放送制作。主演:弘田三枝子)
- 花の番地(朝日放送制作。主演:轟夕起子)
- ベン・ケーシー - 海外作品。
- コンバット! - 同上
子供向けドラマ
[編集]- NHK
- ハリスミュージカルアクション 跳び上がる娘たち(主演:市村俊幸)
- クレイジー作戦(カラー)(主演:ハナ肇とクレージーキャッツ)[9]
- TBS系
ニュース番組
[編集]- JNNニュースコープ(TBS)
- ABCフラッシュニュース(朝日放送)
ドキュメンタリー番組
[編集]- ノンフィクション劇場(日本テレビ)
バラエティ番組
[編集]- ゲームの王様(日本テレビ)
- アツギハイステップショウ ハイステップ・ミコちゃん(フジテレビ)
クイズ番組
[編集]- シャープさん・フラットさん(カラー)(NHK総合)[10]
- ダイハツアワー そうですちがいます(フジテレビ)
- パイロット スター・プレゼント(フジテレビ)
- 日清オリンピックショウ 地上最大のクイズ(フジテレビ)[注 9]
音楽番組
[編集]- 口笛吹けば(カラー)(NHK総合)[11]
- こよい歌えば(カラー)(NHK総合)[12]
- 若さで行こう(カラー)(日本テレビ)[13][14]
- リスリスアワー ハリスミュージックプレゼント(日本テレビ)
- 味の素ホイホイ・ミュージック・スクール(日本テレビ)
- カム・オン ベルベ・ショー(日本テレビ)
- 歌のグランプリショー(日本テレビ)
- 松島トモ子ショー 君の歌僕の歌(カラー)(日本テレビ)[9]
- ペギー葉山ショー(カラー)(日本テレビ)[9]
- ロス・エスパニョレスショー(カラー)(日本テレビ)[9]
- アベック歌合戦(読売テレビ)
- 大学→サンテ→ナショナル10人抜きのど自慢(TBS)
- みんなで歌おう!(TBS)
- 7時にあいまショー(TBS)
- 森永スパーク・ショー(フジテレビ)
トーク番組
[編集]- 若い広場(NHK教育)
料理番組
[編集]教養・ドキュメンタリー番組
[編集]- ふたごのこぐま(NHK教育)
- きたきたきたよ(NHK教育)
- おとぎのへや(NHK教育)
- たのしい図工(NHK教育)
- 明るいなかま(NHK教育)
- みんなの音楽(NHK教育)
- みんななかよし(NHK教育)
- わたしたちの進路(NHK教育)
- 体育のしおり(NHK教育)
- Let's have a chat(NHK教育)
- 高校実力養成シリーズ(NHK教育)
参考文献
[編集]- 日本放送協会 編『NHK年鑑1962』日本放送出版協会、1961年12月1日 。[15]
- 日本放送協会 編『NHK年鑑1962 No.2』日本放送出版協会、1962年9月1日 。[16]
- 日本放送協会 編『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1963年10月10日 。[17]
- 日本放送協会 編『放送五十年史』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- 日本放送協会 編『放送五十年史 資料編』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- NHK 編『放送の五十年 昭和とともに』日本放送出版協会、1977年3月30日 。
- 「NHK大河ドラマ大全」(NHK出版、2011年)
- テレビドラマデータベース
など
注釈
[編集]- ^ 当時の親局であった北九州局のコールサインはJOHX-TV。1974年に本社・演奏所を北九州市八幡東区から福岡市南区高宮に移転(1996年に同市早良区百道浜に再移転)して現在に至る。なお北九州局のコールサインは2011年7月24日の地上アナログ放送終了まで使われた。
- ^ 高橋は前年(1961年)にNHKを退局しており、1年間は嘱託契約となっていた。
- ^ 当時は日本テレビ系列とNETテレビ(現・テレビ朝日)系列のクロスネットであった(1973年まで。現在はテレビ朝日系列)。また、これにより、これまでフジテレビ・日本テレビ・NETの3局トリプルネット局だった東海テレビがフジテレビ系列にネット一本化される。
- ^ なお、再放送はここから12時45分〜13時となり、現在まで60年に亘り続いている。
- ^ 当時は朝日放送のテレビ放送事業であり、2018年4月の放送持株会社制移行により朝日放送グループホールディングスとなり、現在の朝日放送テレビとなった。
- ^ NHK教育テレビはこの時未だ高規格化せずモノクロ回線のままであった為、同放送の大阪に於けるカラー番組は引き続き、ビデオテープを事前に送って、放送時にそれを同時再生していた。
- ^ 開局当初は日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネットだったが、1975年にフジテレビ系列局としてテレビ新広島(TSS)が開局したのに伴い日本テレビ系列に一本化。
- ^ 開局当初はフジテレビ系列と日本テレビ系列のクロスネットだったが、1970年にミヤギテレビ(MTB→mm34→MMT)が日本テレビ系列とNETテレビ系列のクロスネット局(現在は日本テレビ単独系列局)として開局したのに伴いフジテレビ系列に一本化。
- ^ a b 番組開始当初から『日清オリンピックショウ 地上最大のクイズ』として放送されてきたが、東京オリンピック閉幕とともに『日清ジェットショー~』と改め、1965年5月25日まで放送した。
- ^ 当時は中部日本放送のテレビ放送事業であったが、放送持株会社制移行に伴い、放送事業・免許は2014年4月1日に「株式会社CBCテレビ」が継承。
- ^ a b 日本テレビ版は翌1963年1月21日に開始した。
- ^ その後『中学生日記』へ引き継がれ、2012年3月まで続く。
脚注
[編集]- ^ 『日本プロレス事件史 Vol.2』、P41
- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1963年、272頁。
- ^ 日本放送協会総合技術研究所『五十年史』(1981.03) 90ページ (渋沢社史データベース)(2023年6月30日閲覧)
- ^ 「NHKは何を伝えてきたか-NHKテレビ番組の50年」NHKテレビ番組年表 1960-1964
- ^ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 38ページ (渋沢社史データベース)(2023年11月8日閲覧)
- ^ 日本テレビ50周年の物語「1960年代」 Archived 2010年09月25日, at the Wayback Machine.
- ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、450頁。NDLJP:11954641/241。
- ^ 東芝土曜劇場
- ^ a b c d 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、453頁。NDLJP:11954641/242。
- ^ 朝日新聞 1962年4月6日朝刊 P.8 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年10月15日、161,171頁 。
- ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年10月15日、161~2, 171頁 。
- ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、451頁。NDLJP:11954641/241。
- ^ 朝日新聞 1962年2月2日朝刊 P.8 テレビ欄 及び 同年4月5日朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ NHK nenkan - Google Books
- ^ NHK nenkan - Google Books
- ^ NHK nenkan - Google Books