田中好子

たなか よしこ
田中 好子
本名 小達 好子おだてよしこ
旧姓︰田中
生年月日 (1956-04-08) 1956年4月8日
没年月日 (2011-04-21) 2011年4月21日(55歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京都足立区[1]
死没地 日本の旗 日本 東京都港区三田
国際医療福祉大学三田病院[2]
国籍 日本の旗 日本
身長 155 cm
血液型 A型
職業 女優歌手
ジャンル
活動期間
配偶者 小達一雄
著名な家族
公式サイト 田中好子 公認ウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
映画
受賞
日本アカデミー賞
最優秀主演女優賞
1989年『黒い雨』
ブルーリボン賞
主演女優賞
1989年黒い雨
その他の賞
キネマ旬報賞
主演女優賞
1989年黒い雨
毎日映画コンクール
女優主演賞
1989年黒い雨
報知映画賞
主演女優賞
1989年黒い雨
高崎映画祭
主演女優賞
1989年黒い雨
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田中 好子たなか よしこ[3]1956年4月8日[4] - 2011年4月21日[5][6][7][4])は、日本女優歌手であり、元キャンディーズのメンバーである。本名は小達 好子おだて よしこ。旧姓︰田中。愛称は「スー」または「スーちゃん[3]」。

経歴

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デビューまで

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東京都足立区梅田で田中屋釣具店を営む田中幸治・タケ夫妻の次女として生まれる[1]。その愛らしいルックスに反して、子供の頃は男の子をいじめるような腕白振りでガキ大将的な存在だったという。千寿第五小学校4年生の時、町内の民謡研究会に入り[注釈 1]、発表会で「ソーラン節」等を披露。後の才能の片鱗を窺わせる。足立区立第四中学校東京成徳高校を経て、芸能活動で多忙だった(後述)が1975年19歳の頃に東京成徳短期大学入学[9]、その後卒業[10]

1969年昭和44年)、渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院に入学。入学後、スクールメイツのメンバーに選抜される。同期生には伊藤蘭太田裕美らがいた。1972年10-12月、日本テレビ系のヒーロー作品『突撃! ヒューマン!!』に新聞記者・星山ルミ子役で出演。

キャンディーズ

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1972年(昭和47年)、NHKの歌番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールのオーディションに伊藤蘭藤村美樹とともに合格。3人組は「キャンディーズ」と命名され、マスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)として活動。この年の紅白歌合戦で、橋幸夫(曲は「子連れ狼」)のバック・コーラスや、南沙織(曲は「純潔」)のバックダンサーを務めた。

1973年(昭和48年)9月1日、キャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー(コーラスパートはメゾソプラノ)。ニックネームは「スーちゃん」(好子の“好”という字が「すき」の「す」であるため)[注釈 2]。キャンディーズのメンバーでは最年少であった[注釈 3]。伊藤や藤村からはスーさんと呼ばれていた。

デビュー曲の「あなたに夢中」から4曲目の「なみだの季節」までは、歌唱力を評価されてキャンディーズ初期のセンター位置のリードボーカルを担当した。その間はヒット曲に恵まれず、その後5曲目の「年下の男の子」以降殆どは、メインボーカルを伊藤に譲り、向かって右の立ち位置でコーラスを務めた[注釈 4]

1977年(昭和52年)以降は、歌手としてだけではなく、作詞作曲(共作を含む)も行う。作品に「LOVE ME LOVE ME」「ミッドナイト・ハイウェイ」「私の彼を紹介します」「季節の別れ」「一番星さん」「なんとなく」「午前零時の湘南道路」「PLEASE COME AGAIN」「いけない人」「土曜日の夜」がある。

1978年(昭和53年)4月4日、キャンディーズの解散により芸能界を引退[9]

芸能界復帰の経緯

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1980年(昭和55年)、芸能界に復帰。1984年1月21日、ソロシングル『カボシャール』、ソロアルバム『好子』を発表。その後は女優として活躍した。ちなみに復帰会見では、あるリポーターから「普通の女の子に戻れなかった?」と意地悪な質問[注釈 5]をされ、本人は「私、普通なんだけどな」と答えたという[12]

芸能界復帰の理由としては、骨肉腫で闘病生活を送っていた6歳下の実弟が田中の復帰を強く希望していたことや、萩本欽一の著書「欽ちゃんつんのめり」を読み感銘を受けて、萩本の家を直接訪問し、事情を聞いた萩本から「弟さんのために芸能界でもう一度一等賞を獲って、弟さんを喜ばせてやろうよ」と励まされたことなどがある。萩本の家は偶然にも藤村美樹の家の隣であった。萩本の協力により、1980年5月の復帰会見を経て、7月の「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にて正式復帰を果たした。しかし、田中の芸能界復帰を誰よりも喜んでいた実弟は、田中が復帰を果たした翌年に19歳でこの世を去り、田中が後述の各主演女優賞を実弟に見せることは叶わなかった[13][14]

女優業

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1980年(昭和55年)4月から12月まで、田中を主人公のモデルとしたアニメスーキャット』(東京12チャンネル)が放送された。同年のドラマ『虹子の冒険』で本格的に女優活動を始め、さらに映画『土佐の一本釣り』で映画主演デビューも果たす[9]

デビュー前は歌やダンスのレッスンは受けたが演技の勉強はしていなかったため、復帰直後は女優業に不安を感じていた。当時、撮影現場ではよく女性マネジャーに「私の芝居を見ていてほしい」と告げてリハや本番で演技した後、自身の演技に対する意見を求めていた[12][注釈 6]。その後一つ一つの役を全力で演じ、周りから徐々に女優として認められたことで自信に繋がった[12]

映画では1989年平成元年)に公開された『黒い雨』で、主役・「高丸矢須子」役を演じ、日本アカデミー賞ブルーリボン賞キネマ旬報賞毎日映画コンクール報知映画賞などで主演女優賞を受賞。日本アカデミー賞などでは作品に対しても大賞を受賞し、第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上演された。原爆症の表現のため、入浴シーンで体の変化を表現するために敢えてヌードを披露し話題を呼んだ[注釈 7]。この頃から演技派女優としての地位を固め始める[12]

テレビドラマでは、1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)の連続テレビ小説おしん』のおしんの養女役や、ドラマ23「いまさら、初恋」で好演、映画では2003年の『鏡の女たち』、2007年の『0からの風』や『親父』などで主要キャストに扮した。また、1993年(平成5年)に主演したドラマ『秋の駅』(フジテレビ)では、放送文化基金演技賞を受賞した[9]

「揖保乃糸」のCM出演

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1992年(平成4年)にそうめん「揖保乃糸」のCMキャラクターとなり、以後2011年4月分まで担当した[9][注釈 8]。田中の死後、「揖保乃糸」を手掛ける兵庫県手延素麺協同組合は公式サイトで長年CM出演を担当した彼女への感謝の言葉と共に、「田中好子さんには永遠に“揖保乃糸”を見守っていただきたい」とのコメントを発表した[注釈 9]

私生活と母親役に関して

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1991年(平成3年)5月21日、以前より親交のあった夏目雅子の実兄で実業家の小達一雄結婚。田中は初婚だったが、小達は3度目の結婚であった。挙式・披露宴には、両家の親族や田中のプロダクション関係者らごく内輪の人たちだけが出席した[16]

田中には継娘が居たが、自身に子供は生まれなかった。しかし、女優としては母親の役を当てられることが多く、1994年(平成6年)の『家なき子』(日本テレビ)、1998年(平成10年)の『神様、もう少しだけ』(フジテレビ)、2001年(平成13年)の連続テレビ小説ちゅらさん』などでは主役(またはヒロイン)の母親役を演じた。田中の子供役として共演経験のある俳優は男22人、女25人で合計47人にも上る。田中の葬儀の際、夫の小達は「(好子は)22男25女、合わせて47人もの子供に恵まれた。好子はそのすべての子供たちを心の底から愛していました」と言い、その名母親役ぶりを称えた[17][注釈 10]

福祉活動

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女優以外にも、夫の小達一雄が夏目雅子の実兄であることより、1993年に設立された『夏目雅子ひまわり基金』の活動への参加、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問を務めた。また、1996年(平成8年)にはエイズ予防財団及び日本エイズストップ基金協力委員を務め、2000年(平成12年)に同基金運営委員に就任した[9]。ちなみにこの活動が田中の起用理由かは不明だが、先述のドラマ『神様、もう少しだけ』では、HIV感染をテーマとしている。

19年間の闘病と死

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結婚翌年の1992年に乳癌が見つかり、幾度か再発を繰り返したが、いずれも早期発見で秘密裏に治療を受けながら芸能活動を続けていた。これらの事実は、田中の死去直後の記者会見において、夫の小達により初めて公式に明らかにされた。闘病の事実は親族のみに伝えられ、盟友である伊藤蘭と藤村美樹ですら、伝えられたのは死の約3年前で、共演者には一切明かされていなかったという。

2010年(平成22年)10月に十二指腸潰瘍を患い、その治療のため絶食したことで体力・免疫力が低下、乳がんが再発。結果として、このときの絶食が田中の容態を最終的に大きく悪化させる原因となった。2011年(平成23年)2月に、がん細胞組織が急激に増殖するラッシュ状態となり、肺や肝臓にもがんが転移した。

2011年(平成23年)3月14日、夫が「ゴールデンウィークは越せないかもしれない」と余命を伝えたところ、「こんな事をあなたに言わせてしまってごめんね」と夫を気遣い、「私は大勢の人に支えられて生きてきたので、みなさんにお礼が言いたい」と話したため、3月29日午後、夫とマネージャー立会いで葬儀の際流されたメッセージが病室でベッドのリクライニングを起こした体勢で録音された。

4月21日午後7時4分頃、懸命の治療も甲斐なく、国際医療福祉大学三田病院にて死去[19][2][5][7][20]。55歳没。誕生日のわずか13日後だった。長年の盟友だった伊藤蘭と藤村美樹は、田中が危篤状態になった際、「2人とも家族同然だから」という親族の計らいで病室に呼ばれ、田中が息を引き取るまで、7時間にもわたって田中の名前を呼び続けていたという[21]

葬儀 

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通夜4月24日、葬儀・告別式は翌25日に青山葬儀所でそれぞれ営まれた。棺と葬儀場の絨毯は田中のキャンディーズ時代のイメージカラーだったで彩られた[22]戒名は、春芳院妙純日好大姉[22]

葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と語りかけ[23]、伊藤蘭は「もう一度だけでいいから、(キャンディーズの)3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読んだ[24]

葬儀の最後の喪主の挨拶の中で、本人のラストメッセージとなる肉声録音テープ(約3分20秒)[25]が流された。映画の撮影を模した形でテープが公開され、テープが流される前及び流された後に、夫がカチンコを鳴らしたり撮影の掛け声を掛けた[26][27]。その後、棺に花を入れていく「最後の別れ」は、一般より長い40分続いた[28]。出棺の時には、キャンディーズ時代のデビュー曲「あなたに夢中」が流される中、日本キャンディーズ協会のメンバーなどが霊柩車に向けて、青いテープを投げ入れ最後の別れを告げ、遺体は品川区桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。

没後

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田中の訃報に、『家なき子』で共演した安達祐実[29]をはじめ、NHK連続テレビ小説ちゅらさん』で共演した国仲涼子毎日放送制作ドラマ『筆談ホステス』で共演した北川景子など、田中と映画、ドラマ等で共演した多くの俳優・女優をはじめ、長年のキャンディーズフリークとして知られている当時自由民主党政務調査会長石破茂[30]などが追悼の辞を発表している。

2011年(平成23年)7月6日放送の徹子の部屋では、追悼特集(番組への出演歴がある故人)として田中の特集も放送され、黒柳は言葉を詰まらせながら田中との思い出を語っていた。田中の盟友である伊藤蘭の娘・趣里は、2011年8月1日、女優デビュー後初の記者会見の場で、尊敬する女優として田中の名を挙げ、「私もスーちゃんのような女優さんになりたいです」と語った。

死去から1年となる1日前の2012年4月20日に一周忌を追悼する『独占秘話!初公開!秘蔵映像田中好子最後の180日〜スーちゃんが愛する人に残したメッセージ〜』がフジテレビ系列で放送された。ラストシーンは「私たちは春が来るたびにあなたのことを思い出すに違いない」と締めくくられた。ナレーションは遠藤憲一が務めた。

エピソード

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  • 中学校で3年間隣りの席だった男の子に初恋。相思相愛の関係になるも、初デートで相手が時間を間違えて現れず傷付き、失恋したという。
  • 2003年にNHK『趣味悠々』の「鶴太郎流墨彩画塾」への出演を通じて墨彩画に出会った。同番組で俳優で墨彩画家でもある片岡鶴太郎に描き方を教わると、出演終了後も師事して教わるようになる。ロケ先にも画材専用のトランクを携行する程の入れ込みようであった[31]。それ以降身の回りの物を中心に100点以上の絵を描き残したという[9]
  • キャンディーズ解散後も年に1度は必ず元メンバーたちで集まっており[12]伊藤蘭の夫である水谷豊は、「キャンディーズの3人が家(水谷邸)に集まって長い時間談笑しているんだよ」と語っていた[32]
  • 1979年(昭和54年)に放送されたアニメ『スーキャット』の登場キャラクター「スー」、『おじゃる丸』の登場キャラクター「タナカヨシコ」、『しゅごキャラ!』の登場キャラクター「スゥ」のモデルである。[要出典]
  • 怪獣映画『モスラ』とザ・ピーナッツが演じた小美人のファンであり、ザ・ピーナッツに憧れて歌手になった[9]。また、『今夜は最高!』のゲスト出演時には平田昭彦と共に怪獣を題材にしたコントにも出演し「モスラの歌」を歌唱したほか[33]、後に製作された映画『ゴジラvsビオランテ』『ゴジラvsモスラ』にも出演している。特に『vsモスラ』は2シーンのみの出演だが、モスラ映画に出演したいという本人の熱望によるものであった[34][35][36]。『vsビオランテ』へは、監督の大森一樹から「ゴジラも『黒い雨』も原爆に関する映画だから」と伝えられた[37]
  • 『ゴジラvsビオランテ』で共演した三田村邦彦は、田中について明るく裏表のない人物であったと評している[38]。同じく共演者の小高恵美は、控室で三田村が「何か歌ってほしい」と要望したところ、田中は「年下の男の子」や「春一番」などを振り付きで歌っていたと証言している[39]
  • 2006年(平成18年)11月24日、『はなまるマーケット』の「はなまるカフェ」にゲスト出演。岡江久美子とは1984年(昭和59年)の『金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?』で共演して以来、22年ぶりに顔を合わせた。薬丸裕英とは、「一世を風靡した元売れっ子3人組アイドル」という共通点に、芸歴20年以上を持つが、その時が初対面であった。しかし、「なんか初めてお逢いしたようには思えないんですけどねぇ……」と語った[出典無効]
  • 後年病気治療の影響から女優業をする時などにウィッグを着用するようになった。ある作品で母子役で共演して以降プライベートでも親しくなった上地雄輔に、ある日ウィッグの着用を気付かれた。病気のことを全く知らない上地から「なんでウィッグなんてかぶるんだよ。普通の髪型の方がいいよ」と言われた。しかし田中は嫌な顔一つせず、「そう?今、流行ってるのよ?フフ」と笑顔で返したという[40]
  • ドラマ『神様、もう少しだけ』のリハーサルでは、珍しく演技に手を抜いた[12]。これに気づいた田中のマネジャーが理由を尋ねたところ、娘役の深田恭子が本作までドラマの経験がほとんどなく、リハーサルで役に入りすぎて本番で力が抜けてしまうことがあった。このため田中はわざとリハの芝居で手を抜くことで、深田が本番にピークを持っていけるようにしていることを打ち明けられたという[12]
  • ドラマ『筆談ホステス』では、聴覚障害のあるヒロインの母親役を演じており、プロデューサー・志村彰が田中の起用について以下のように語っている[12]。「本作の母親には、娘に厳しいセリフを言っても視聴者に嫌悪感を抱かせないような演技が求められました。思いやりゆえの厳しさです。この役が務まるのは、心に秘めた優しさのある田中さんしかいないと思い出演を依頼しました」[12]
  • 『筆談ホステス』の撮影現場では、いつも温かみのある田中の存在のおかげでキャストもスタッフも不思議と和気あいあいとなった[12]。また、撮影時間が押した時など場の雰囲気が悪くなりそうになると、さり気なく「みんな、頑張ろうね」と声をかけていたという[12]
  • 志村によると、田中とは上記以外にも何度か共演し、仕事終わりに時々スタッフ・共演者数人でカラオケに行くことがあった。その都度田中は『微笑がえし』などを数曲振り付きで歌ってくれたが、彼女はいつもキャンディーズの歌しか歌わなかったという[12]
  • 2004年のドラマ『ちゅらさん3』では、沖縄のロケ撮影の合間に、長縄跳びをする小浜島の子供たちに混じって飛び入り参加し、気取らない気さくな一面を見せた[12]

家族

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夫はスイート・ベイジル会長など務めた実業家・小達一雄。連子の女優の楯真由子は継娘[注釈 11]、女優の夏目雅子は義妹、プロゴルファー小達敏昭は義弟、宝塚歌劇団月組男役の風間柚乃は姪[44]作曲家田中俊亮は甥[45]に当たる。継子の楯真由子のことを実の娘のように可愛がっており、どこに行くにも一緒で、学校行事にも積極的に参加し、非常に仲の良い母子だったという。また、夏目雅子とは親友でもあった[9]

出演作品

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テレビドラマ

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映画

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劇場アニメ

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CM

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舞台

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その他

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ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
Invitation
1 1984年
1月21日
A面 カボシャール 与詞古 斎藤ノブ AKAGUY VIHX-1625
B面 恋に揺れて 伊達歩 梅垣達志 馬飼野康二
徳間ジャパン
2 1989年
10月25日
01 二枚目酒 (居酒屋パートII)[注釈 19] 阿久悠 大野克夫 桜庭伸幸 12NT-158

アルバム

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田中を演じた女優

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脚注

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注釈

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  1. ^ クラシックバレエを習いたかったものの、祖母に「(日本人が)足などを上げるものではない」と反対されたため、民謡を選んだ[8]
  2. ^ キャンディーズ結成当初のニックネームは「ヨッチ」だったが、「ラン・ミキ・ヨッチ」では語呂が悪いので、ファンに「スー」というニックネームを付けてもらった[11]
  3. ^ 藤村美樹は同い年だが、藤村が早生まれである為1学年違い、伊藤蘭との年齢差は1歳だが、伊藤が早生まれである為2学年違いであった。
  4. ^ ただし「わな」では、センターは藤村となり、向かって左が田中、右に伊藤と移動する。事実上のラストシングルだった「微笑がえし」は、2番(又は3番)の途中サビの部分で伊藤と入れ替わり、田中がセンターについていた。
  5. ^ キャンディーズの解散宣言時にメンバーの伊藤蘭が、絶叫して話題となった「普通の女の子に戻りたい!」の発言を踏まえての質問。
  6. ^ 女優復帰からしばらくした頃、とあるインタビューで本人は以下のように語ったことがある。「取材やインタビューを受けると必ず『元キャンディーズのスーちゃんがこう言った』みたいにタイトルがついちゃうんですよね。(私はスーとしてではなく田中好子として復帰したから)それがすっごくイヤだったのに、一方でそれに甘えている自分もいて…。自分の中で変にギクシャクしてました」[12]
  7. ^ 同作はモノクロ映画だった。
  8. ^ Wikipediaの「揖保乃糸」のページによると田中出演のCMは死去から1週間後まで放映されたとのこと[出典無効]
  9. ^ 当初同組合から発表されたコメントは上記とは少し異なり、掲載文を見た一部メディアから“田中さんがCMキャラクターを永久的に務める”と勘違いして報じられた。このため同組合は取材に対し「報じられたことは誤解です」と否定し、後日コメントを上記に変更する一幕があった[15]
  10. ^ 神様、もう少しだけ』『天使の歌声 〜小児病棟の奇跡〜』『神様、何するの』『瞳スーパーデラックス』『筆談ホステス』など、難病・障害を抱える娘の母親役もあった[18]
  11. ^ 夫と前妻との一人娘[41]。初対面は2008年に死去した義母・小達スエの葬儀[42]だったが、すぐに親しくなり、「私が芸能界のお母さんになってあげるね」と死去までメールの交換を続けたという[43]
  12. ^ 歌手デビュー前の出演。
  13. ^ 2011年5月8日、追悼番組として再放送[48]
  14. ^ 2011年4月24日日曜ビッグバラエティ枠で追悼番組として再放送[50]
  15. ^ 2011年5月28日、CS・TBSチャンネルで追悼番組として放送予定[51]
  16. ^ 2011年4月25日チャンネルα枠(関東ローカル)で追悼番組として再放送。
  17. ^ 2011年5月1日、CS・TBSチャンネルで追悼番組として放送[51]
  18. ^ 遺作。
  19. ^ 五木ひろしとのデュエット。
  20. ^ 2007年9月21日にCD版がリリースされた(規格品番:VICL-62590)。

出典

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  1. ^ a b 田中好子 | NHK人物録 | NHKアーカイブス”. 2019年4月28日閲覧。
  2. ^ a b “【スーちゃん死去】田中さん、元メンバーに死期近いこと告げていた(1/2ページ)”. サンケイスポーツ. (2011年4月22日). オリジナルの2011年9月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110916080931/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110422/ent11042207020002-n1.htm 2019年12月19日閲覧。 
  3. ^ a b c ゴジラ大百科 1993, p. 124, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  4. ^ a b c d ゴジラ365日 2016, p. 102, 「4月8日 / 4月9日」
  5. ^ a b “元キャンディーズの田中好子さん死去 55歳”. 朝日新聞. (2011年4月21日). オリジナルの2011年4月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110421220122/http://www.asahi.com/obituaries/update/0421/TKY201104210569.html 2011年4月21日閲覧。 
  6. ^ “「キャンディーズ」田中好子さん、乳がんで死去”. 読売新聞. (2011年4月21日). オリジナルの2011年4月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110425034648/www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110421-OYT1T01006.htm?from=top 2011年4月21日閲覧。 
  7. ^ a b “元キャンディーズ、田中好子さん死去”. 日刊スポーツ. (2011年4月21日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110421-764575.html 2011年4月21日閲覧。 
  8. ^ “「好子は47人すべての子を愛していました」”. 日刊スポーツ. (2011年4月26日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110426-766543.html 2021年2月1日閲覧。 “スーちゃんは民謡を歌っていた!?”. イザ!. (2007年11月9日). http://andoh.iza.ne.jp/blog/entry/380748/ [リンク切れ]
  9. ^ a b c d e f g h i 週刊現代12月4日号田中好子「スーちゃんに、もういちど逢いたい」p181-188
  10. ^ 田中好子(たなかよしこ)とは? コトバンク
  11. ^ はなまるマーケット」 2007年12月3日より[出典無効]
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n 週刊現代2022年8月27日号「脇役稼業」第15回・田中好子「笑顔が優しいひと」p25-32
  13. ^ “田中さん夫・小達さん秘話「弟のために」”. サンケイスポーツ. (2011年4月26日). オリジナルの2011年4月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110428122258/www.sanspo.com/geino/news/110426/gnj1104260508017-n1.htm 
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参考文献

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外部リンク

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