ルノー・RS01
カテゴリー | F1 | ||||||
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コンストラクター | ルノー | ||||||
デザイナー | |||||||
後継 | ルノー・RS10 | ||||||
主要諸元 | |||||||
シャシー | アルミニウム モノコック | ||||||
エンジン | ルノー・ゴルディーニ EF1 1,492 cc 90度 V6 DOHC ターボ MID | ||||||
オイル | エルフ | ||||||
タイヤ | ミシュラン | ||||||
主要成績 | |||||||
チーム | エキップ・ルノー・エルフ | ||||||
ドライバー | |||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||
通算獲得ポイント | 3 | ||||||
初戦 | 1977年イギリスグランプリ | ||||||
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ルノー・RS01 (Renault RS01) はルノー・スポールが1977年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。デザイナーはアンドレ・デ・コルタンツとフランソワ・キャスタン。
F1マシン初のターボエンジン搭載車として開発された。
開発の経緯
[編集]1973年、ルノー傘下のゴルディーニのフランソワ・キャスタンが2リッターV6エンジン"CH1"を開発した。このエンジンはF2とスポーツプロトタイプに搭載され、1975年にはベルナール・デュド指揮のもと、エンジンにギャレット製シングルターボを装着したアルピーヌ・ルノー A442が登場した。
ルノーはル・マン24時間レース制覇を最大の目標に掲げながら、フルコンストラクター体制でのF1参戦も計画した。石油会社エルフの資金援助を受け、排気量を1.5リッターに縮小した「ルノー・ゴルディーニ EF1」ターボエンジンを開発(EFはエルフの略)。シャーシ設計はアンドレ・デ・コルタンツが担当した。1976年4月[1]にはモータースポーツ活動を統括するルノー・スポールが誕生し、ジェラール・ラルースがマネージャーに就任した。1976年5月から試作車A500のテストを行い、スポーツカーやF2で縁が深いジャン=ピエール・ジャブイーユをテストドライバーに起用した。
ターボエンジンはインディカーやスポーツカーレースではすでに定着していたが、F1では「過給式エンジンの排気量は自然吸気エンジンの1/2とする」というハンディがあったこともあり、ルノー以前に挑戦するチームはいなかった(そもそもルール上は、慣習的には機械式過給を指す「supercharged」という表現であり、ターボはルール的に存在していなかったとも言える。しかし、字義的には機械式には限られないという「ルールを文字通り解釈した」結果である)。フランスの大企業の独創的なプロジェクトは大いに関心を集めた。
1977年
[編集]1977年第10戦イギリスGPから、実戦型のRS01を投入。タイヤはミシュランが開発したF1初のラジアルタイヤを装着し、燃料はエルフを使用するなど「オールフレンチ体制」での参戦となった。当面はジャブイーユの1台体制で、実戦における開発に重点が置かれた。
デビュー戦は予選21位、決勝はターボのトラブルでリタイアした。2戦を欠場し第13戦オランダGPから再登場したが、3戦連続リタイアを喫し、カナダGPでは予選落ちとなった。ターボラグと熱処理の問題を抱え、度々エンジンから白煙をあげてリタイアすることから、「イエロー・ティーポット」と仇名された。
1978年
[編集]ル・マン24時間レースを優先するため、開幕2戦を欠場し、第3戦南アフリカグランプリから参戦した。6月のル・マンで目標の総合優勝を果たし、ルノー・スポールはスポーツカープログラムを終了してF1に集中することとなる。依然として信頼性は低かったが、インタークーラーを水冷式に改めたことでパワーロスを解消し[2]、直線スピードを発揮するようになった。第15戦アメリカ東GPにて4位入賞し、待望の初入賞を記録した。
1979年
[編集]この年からジャブイーユとルネ・アルヌーによる2カー体制で参戦した。ロングビーチ市街地コースで行われた第4戦アメリカ西GPでは、ジャブイーユがリアサスペンションの故障で270km/hの高速クラッシュを喫し、アルヌーのマシンにも同じトラブルが出たことから出走を見合わせた。
第5戦スペイングランプリ以降は、KKK製ツインターボを装着する新車RS10にスイッチした[3]。
スペック
[編集]シャーシ
[編集]- シャーシ名 RS01
- シャーシ構造 アルミニウム モノコック
- 前サスペンション ダブルウィッシュボーン コイルスプリング
- 後サスペンション アッパーリンク ロワウィッシュボーン コイルスプリング
- ホイールベース 2,500 mm
- 前トレッド 1,540 mm
- 後トレッド 1,520 mm
- 重量 605kg
- クラッチ
- ブレーキキャリパー
- ブレーキパッド・ディスク
- ホイール
- タイヤ ミシュラン
- ダンパー
- ギヤボックス ヒューランド FCA400 6速マニュアル
エンジン
[編集]- エンジン名 ルノー・ゴルディーニ EF1
- 気筒数・角度 V型6気筒ターボ・90度
- 排気量 1,492 cc
- 出力 500 bhp / 11,000 rpm
- ボア・ストローク 86 × 42.8 mm
- 動弁機構 DOHC 4バルブ
- ターボ ギャレット シングルターボ
- インジェクション ボッシュ
- 燃料・潤滑油 エルフ
記録
[編集]年 | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | ポイント | ランキング |
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ARG | BRA | RSA | USW | ESP | MON | BEL | SWE | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | USE | CAN | JPN | |||||
1977 | 15 | ジャブイーユ | Ret | Ret | Ret | Ret | DNQ | 0 | NC | ||||||||||||
1978 | ARG | BRA | RSA | USW | MON | BEL | ESP | SWE | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | USE | CAN | 3 | 12 | |||
15 | ジャブイーユ | Ret | Ret | 10 | NC | 13 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 4 | 12 | ||||||
1979 | ARG | BRA | RSA | USW | ESP | BEL | MON | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | USE | CAN | 26 | 6 | ||||
15 | ジャブイーユ | Ret | 10 | Ret | Inj | ||||||||||||||||
16 | アルヌー | Ret | Ret | Ret | WD | 9 | Ret |
脚注
[編集]- ^ ナイ 1991, p. 272.
- ^ ナイ 1991, p. 275.
- ^ “Michel Têtu 1/2 – Les inédits de «Pilote et Gentleman»”. Classic Courses (2022年1月1日). 2023年5月29日閲覧。
- ^ Wouter Melissen (2011年10月19日). “1977 - 1979 Renault RS 01” (英語). Ultimatecarpage.com. 2011年11月21日閲覧。
参考文献
[編集]- ダグ・ナイ『歴史に残るレーシングカー』高斎正 訳、グランプリ出版、1991年9月。ISBN 4-87687-112-4。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、ルノー・RS01に関するカテゴリがあります。