ニック・ハイドフェルド
ニック・ハイドフェルド | |
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ニック・ハイドフェルド (2019年) | |
基本情報 | |
フルネーム | ニック・ラース・ハイドフェルド Nick Lars Heidfeld |
略称表記 | HEI |
国籍 | ドイツ |
出身地 | 同・メンヒェングラートバッハ |
生年月日 | 1977年5月10日(47歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 2000-2009,2010-2011 |
所属チーム | '00 プロスト '01-'03,'10 ザウバー '04 ジョーダン '05 ウィリアムズ '06-'09 BMWザウバー '11 ロータス・ルノーGP |
出走回数 | 185 (183スタート) |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 13 |
通算獲得ポイント | 259 |
ポールポジション | 1 |
ファステストラップ | 2 |
初戦 | 2000年オーストラリアGP |
最終戦 | 2011年ハンガリーGP |
ニック・ラース・ハイドフェルド(Nick Lars Heidfeld, 1977年5月10日 - )は、西ドイツ・メンヒェングラートバッハ出身のレーシングドライバー。日本では「ハイドフェルド」と表記されることが多いが、ドイツ語の発音では「(ラルス・)ハイトフェルト」に近い音となる。
元F1ドライバーで、2000年から2011年までF1に参戦していた。元ドイツF3ドライバーのスヴェン・ハイドフェルドは実の弟。
プロフィール
[編集]ドイツ国内のカート選手権でチャンピオンを獲得するなど活躍した後、1994年にドイツ・フォーミュラ・フォード1600にステップアップ、1996年にドイツF3選手権に参戦を果たし、2年目となる1997年にタイトルを獲得した。1998年の国際F3000選手権に参戦。初年度ながらファン・パブロ・モントーヤとタイトル争いを演じる。が、最終戦で燃料規定違反が発覚し、ペナルティを受け最後尾スタートとなる。これでチャンピオンを逃しシリーズ2位で終わる。
1999年マクラーレンのテストドライバーを務める傍ら、引き続き1999年の国際F3000選手権に参戦。4勝を挙げチャンピオン獲得[1]、冷静なレース運びから「コンピューター・キッド」、「クイック・ニック」と称される。この年はメルセデスの育成プロジェクトであるメルセデス・ジュニア・チームより、ワークスドライバーとしてル・マン24時間レースにも参戦したが、メルセデス・ベンツ・CLRが宙を飛ぶ事故を三度も起こしたことによりチームの判断で全車リタイアとなった。
2000年から2011年までF1に参戦。183戦を戦い、最高位2位。
2012年以降はF1を離れ、世界耐久選手権(WEC)にレベリオン・レーシングから参戦。その他2013年にはアメリカン・ル・マン・シリーズに、2014年はフォーミュラEにも参戦している。
F1での経歴
[編集]2000年(プロスト)
[編集]2000年よりメルセデスの契約下、国際F3000選手権のタイトルを引っさげてプロスト・グランプリからF1デビュー。メルセデス・ジュニア・チーム出身として期待されたがチームは混迷期にあり、ハイドフェルドはチームメイトのジャン・アレジとの接触など精彩を欠き、全く目立つことなく無得点に終わった。イギリスF3選手権から飛び級でグランプリデビューした同期のジェンソン・バトンに完全に話題をさらわれた形となってしまった。
2001年 - 2003年(ザウバー)
[編集]2001年にザウバーへ移籍。開幕戦オーストラリアGPで初入賞を果たし、第3戦ブラジルGPでは3位初表彰台を獲得するなど、チームメイトの新人キミ・ライコネンと共にザウバーのコンストラクターランキング4位獲得に貢献した。シーズン末、ミカ・ハッキネンの休養宣言(後に引退に変更)によりメルセデスがエンジンを単独供給するマクラーレンのシートに空席ができたが、それを手にしたのはメルセデス契約下にあったハイドフェルドではなく、新人ながら印象的な速さをみせたライコネンであり、ハイドフェルドは大きな失望を味わうことになった。
2002年には新人のフェリペ・マッサと組む。4回の入賞を果たしたが、得たポイントは7ポイントと前年より下回った。2003年もザウバーに残留した。ベテランのハインツ=ハラルド・フレンツェンと組んだ。レギュレーションでポイント制が8位までと広がった為、辛うじて3回の入賞を果たすも、フレンツェンには及ばなかった。
2004年(ジョーダン)
[編集]2004年はジャンカルロ・フィジケラとトレードされる形でジョーダンへ移籍。チームは末期的な状況で戦闘力の低いマシンであったが、モナコGPとカナダGPで入賞を果たした。
2005年(ウィリアムズ)
[編集]2005年、アントニオ・ピッツォニアとのレギュラーシート争いを経てウィリアムズへ移籍した。チームメイトにはラルフ・シューマッハの後任として加入したマーク・ウェバーとコンビを組むこととなった。第2戦マレーシアGPで自身2度目の3位表彰台、第6戦モナコGPで自己最高位の2位、第7戦ヨーロッパGPでは搭載燃料を軽くした戦略によるものではあったが、初のポールポジション獲得。決勝は3位を走行中、ラスト1周、首位ライコネンが1コーナーでタイヤトラブルによりクラッシュ、リタイヤとなると、労せずして2戦連続2位フィニッシュした。開幕前はセカンドドライバー的な見方が多かったが、ウェバーに対してほぼ互角の成績を残したといえる。イタリアGP前のモンツァ・テストでのクラッシュの影響により、イタリアGP・ベルギーGPを欠場し、復帰を目指したトレーニング中に再度負傷してしまい、結局ブラジルGP以降の残り3戦全てを欠場することとなり、ウィリアムズの戦闘力低下と相俟って「尻すぼみ」の印象を与えることとなった。ハイドフェルド離脱によりラスト3戦はアントニオ・ピッツォニアがシートに収まった。
2006年 - 2009年(BMWザウバー時代)
[編集]2006年よりドイツの自動車メーカーでありF1にエンジン供給を行ってきたBMWが中堅コンストラクターであるザウバーの株式を取得し、BMWザウバーとして参戦する。これに伴い、BMWザウバーはウィリアムズからオプション権を買い取り、ハイドフェルドは古巣からレギュラー参戦することとなった。初めの12戦を元ワールドチャンピオンジャック・ヴィルヌーヴ、終盤の6戦をルーキーロバート・クビサとともに戦い、2人を上回るポイントを獲得した。
2007年もクビサと共にBMWザウバーから参戦。車の安定性やマクラーレンのスパイ事件にも助けられ、コンストラクターズランキングではフェラーリに次ぐ2位の獲得に貢献し、ドライバーズランキングでは61ポイントを獲得し自己最高位の5位につけた。
2008年も引き続きクビサとのコンビでBMWザウバーより参戦する。シーズンを通して予選、決勝ともにクビサの後塵を拝するレースが目立つ結果となった。主な原因として2008年仕様のブリヂストンタイヤの特性への対応しきれなかった、特に予選でタイヤを適正温度に加熱する事に非常に苦労していたことが挙げられる[2]。その一方で第15戦シンガポールGPでは6位完走で、前年の第8戦フランスGP以来25連続完走を果たし、ミハエル・シューマッハの24連続完走という歴代1位の記録を更新した。また、この年出走したドライバーの中で唯一全戦完走を達成した。年間決勝全戦完走はF1史上7人目の達成者となる。
2009年もBMWザウバーから参戦。KERSを搭載したマシンで臨んだ開幕戦オーストラリアGPだったが、決勝レースのスタート直後に他車と接触、終始後方でのレースとなり完走こそ果たしたものの無得点に終わった。足掛け3年にわたり更新し続けた連続完走記録は第13戦イタリアGPまで続き、第14戦シンガポールGPでスピンしたエイドリアン・スーティルに接触されてリタイアを余儀なくされ、連続完走記録は41で止まった。BMW撤退のためレースシートを失う事が確定していたが、ハイドフェルドは2位表彰台1回を含む6回の入賞で19ポイントを獲得し、本人はシーズン終了後の去就を楽観視していた。
2010年
[編集]BMWザウバーの撤退に伴い、ハイドフェルドはマクラーレンなどのいくつかのチームと交渉するも、どのチームも合意には至らなかった。このシーズンより参戦したメルセデスがドイツ人ドライバーを欲していたためにハイドフェルドが移籍する可能性もあったが、ミハエル・シューマッハのF1復帰ということもあってシーズン開幕直前の2010年2月4日にメルセデスのテスト・リザーブドライバーとしての契約を結び、レギュラードライバーから退く事になってしまった[3]。しかし、メルセデスはレギュラードライバーの経験向上を念頭とした為に、結局はメルセデスに在籍中に一度もハイドフェルドに対してテスト走行の機会を与えられる事はなかった。
8月、メルセデスとの契約を解除し、2011年よりタイヤサプライヤーとなるピレリのテストドライバーに就任することとなった[4]。
ハイドフェルドはピレリにおいてのタイヤテストを8月から9月16日にかけて数回行ったが、2010年9月14日、古巣ザウバーのレギュラードライバーにペドロ・デ・ラ・ロサの後任として9月17日より就任し、第15戦シンガポールGPからレース復帰することが発表された[5]。チームメイトは小林可夢偉。それに伴いピレリのテストドライバーの座をロマン・グロージャンに譲り降板することとなった。日本GPでは、復帰後初の8位入賞を果たした。その後の韓国GPでも入賞したが、ザウバーは翌シーズンはハイドフェルドに代わり、メキシコ人のセルジオ・ペレスを起用したため、再びレースシートを失うこととなった。
2011年
[編集]ハイドフェルドの去就に関して先行き不透明であったが、2011年2月6日にロータス・ルノーGPのクビサがラリー事故により骨折する重傷となった為、クビサの容態が開幕戦バーレーンGPまでに完治して復帰できなかった場合を踏まえ、ロータス・ルノーGPは2月9日に同チームのテスト兼リザーブドライバーを務めるブルーノ・セナらと共にハイドフェルドもスペインのヘレスで行われる合同テストに参加することを発表した[6]。2月12日、ルノー・R31を86周走行し、最速タイムを記録し[7]、テスト後の16日にはクビサの復帰までロータス・ルノーGPに加入することが発表された[8]。
第2戦マレーシアGPでは3位表彰台を獲得するが、その後は予選でチームメイトのヴィタリー・ペトロフの後塵を拝す事が多く、また決勝においても上位に食い込めなくなるなど精彩を欠く。7月下旬には更迭は時間の問題であるとの憶測も流れていたが、8月24日に第12戦ベルギーGPにはリザーブドライバーのセナがハイドフェルドに代わって出走することが発表された[9]。チーム代表のエリック・ブーリエや関係者によると、ハイドフェルドは期待したほどの速さやパフォーマンスがなく、クビサに代わってチームをリードする能力を持っていなかったと述べている[9]。なお、このドライバー交代に関して、資金面で苦しいチームが、それを打開するために新たなスポンサーが期待できるセナを起用したとの見方も一部あるが、ブーリエは否定している[10]。
ハイドフェルドは契約の有効性を主張し、ロンドン高等法院にドライバー交代の差し止め命令を求める訴えを見せた[11]が、9月3日に訴訟を撤回し、チーム側との和解とチームからの離脱を発表した[12]。
エピソード
[編集]- 2003年にザウバーでチームメイトとなったフレンツェンとは出身地(メンヒェングラートバッハ市)が同じである。
- 2005年7月にはガールフレンドのパトリシア(2008年に正式に結婚)との間に長女を、2007年7月には長男、2010年8月には次男をもうけた。
- 2007年4月28日にはイベントでニュルブルクリンクの北コースをBMWザウバー・F1.06で3周走った。F1の車が北コースを走るのは実に31年ぶりであった。
- 2010年のオーストラリアグランプリからグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)の会長を務めていたが、ピレリタイヤの開発ドライバー就任(またそれに伴うメルセデスAMG F1からの離脱)の影響から、同年8月に会長を辞任。後任にはルーベンス・バリチェロが就いた。
- 2011年4月10日のマレーシアGPにおいて自身最後となる13回目の表彰台を獲得し、ステファン・ヨハンソンの持つ未勝利最多表彰台記録を更新した。
- 2007年フランスGPから2009年イタリアGPまで2年以上にわたり完走を続けていた。連続完走記録41レースは2020年にルイス・ハミルトンに更新されるまで史上最多であった。3位はセルジオ・ペレスの持つ37レース(2017年アゼルバイジャンGPでリタイアを喫し、記録が途切れることとなった)。
レース戦績
[編集]略歴
[編集]年 | シリーズ | チーム | レース | 勝利 | PP | FL | 表彰台 | ポイント | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994 | ドイツ・フォーミュラ・フォード1600 | ? | 9 | 8 | ? | ? | ? | ? | 1位 |
ドイツ・フォーミュラ・フォード1800 | アイフェラント・レーシング | ? | ? | ? | ? | ? | 48 | 10位 | |
1995 | ADAC・ノルトライン・ジュニア・チーム | ? | 4 | ? | ? | ? | 346 | 1位 | |
フォーメル・フォード ゼテック・マイスターシャフト | ? | 2 | ? | ? | ? | 169 | 2位 | ||
1996 | ドイツ・フォーミュラ3選手権 | オペル・チーム・BSR | 15 | 3 | 3 | 6 | 6 | 138 | 3位 |
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | N/A | 3位 | ||
マカオグランプリ | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | N/A | 6位 | ||
モナコグランプリ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 21位 | ||
1997 | ドイツ・フォーミュラ3選手権 | 18 | 5 | 5 | 7 | 11 | 224 | 1位 | |
モナコグランプリ | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | N/A | 1位 | ||
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 7位 | ||
1998 | 国際フォーミュラ3000 | ウエスト・コンペティション・チーム | 12 | 3 | 2 | 3 | 7 | 58 | 2位 |
フォーミュラ1 | ウエスト・マクラーレン・メルセデス | テストドライバー | |||||||
1999 | 国際フォーミュラ3000 | ウエスト・コンペティション・チーム | 10 | 4 | 4 | 6 | 7 | 59 | 1位 |
ル・マン24時間レース - LMGTP | AMG-メルセデス | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | |
フォーミュラ1 | ウエスト・マクラーレン・メルセデス | テストドライバー | |||||||
ゴロワーズ・プロスト・プジョー | |||||||||
2000 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 20位 | ||
2001 | レッドブル・ザウバー・ペトロナス | 17 | 0 | 0 | 0 | 1 | 12 | 8位 | |
2002 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 10位 | ||
2003 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 14位 | ||
2004 | ジョーダン・フォード | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 18位 | |
2005 | BMW・ウィリアムズF1チーム | 14 | 0 | 1 | 0 | 3 | 28 | 11位 | |
2006 | BMWザウバーF1チーム | 18 | 0 | 0 | 0 | 1 | 23 | 9位 | |
2007 | 17 | 0 | 0 | 0 | 2 | 61 | 5位 | ||
2008 | 18 | 0 | 0 | 2 | 4 | 60 | 6位 | ||
2009 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1 | 19 | 13位 | ||
2010 | メルセデスGP・ペトロナス・F1チーム | テストドライバー | |||||||
BMWザウバー | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 18位 | ||
2011 | ロータス・ルノーGP | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 34 | 11位 | |
2012 | FIA 世界耐久選手権 | レベリオン・レーシング | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 42.5 | 14位 |
ル・マン24時間レース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 4位 | ||
ニュルブルクリンク24時間レース | ゲンバラ・レーシング | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | NC | |
V8スーパーカー選手権 | ロッド・ナッシュ・レーシング | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | |
ポルシェ・スーパーカップ | ポルシェ | 1 | 0 | ? | ? | 0 | 0 | NC | |
2013 | FIA 世界耐久選手権 | レベリオン・レーシング | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 48 | 8位 |
ル・マン24時間レース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 39位 | ||
アメリカン・ル・マン・シリーズ | 4 | 1 | 0 | 0 | 4 | 82 | 2位 | ||
2014 | FIA 世界耐久選手権 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 64.5 | 10位 | |
ル・マン24時間レース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 4位 | ||
ニュルブルクリンク24時間レース | ニッサン・GTアカデミー・チーム・RJN | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 24位 | |
2014-15 | フォーミュラE | ヴェンチュリー・グランプリ | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 31 | 12位 |
2015 | FIA 世界耐久選手権 | レベリオン・レーシング | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 29位 |
ル・マン24時間レース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 23位 | ||
2015-16 | フォーミュラE | マヒンドラ・レーシング | 9 | 0 | 0 | 1 | 1 | 53 | 10位 |
2016 | FIA 世界耐久選手権 | レベリオン・レーシング | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 25.5 | 14位 |
ル・マン24時間レース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 29位 | ||
2016-17 | フォーミュラE | マヒンドラ・レーシング | 12 | 0 | 0 | 0 | 5 | 88 | 7位 |
2017 | ウェザーテック・スポーツカー選手権 | レベリオン・レーシング | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 68 | 22位 |
2017-18 | フォーミュラE | マヒンドラ・レーシング | 12 | 0 | 0 | 0 | 1 | 42 | 11位 |
2018-19 | リザーブドライバー | ||||||||
2019-20 | |||||||||
2020-21 | |||||||||
2022 | 世界ラリークロス選手権 | QEVモータースポーツ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 16位 |
フォーミュラ・レーシング
[編集]ドイツ・フォーミュラ3選手権
[編集]年 | チーム | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | オペル・チームBSR | オペル | A | HOC 1 6 | HOC 2 Ret | NÜR 1 2 | NÜR 1 4 | NÜR 2 4 | NOR 1 Ret | NOR 2 3 | DIE 1 Ret | DIE 2 11 | NÜR 1 1 | NÜR 2 1 | MAG 1 1 | MAG 2 2 | HOC 1 17 | HOC 2 4 | 3位 | 138 | |||
1997年 | A | HOC 1 1 | HOC 2 1 | NÜR 1 2 | NÜR 2 3 | SAC 1 2 | SAC 2 6 | NOR 1 Ret | NOR 2 8 | WUN 1 12 | WUN 2 4 | ZWE 1 5 | ZWE 2 4 | SAL 1 1 | SAL 2 1 | LAH 1 2 | LAH 2 2 | NÜR 1 1 | NÜR 2 2 | 1位 | 224 |
国際F3000選手権
[編集]年 | エントラント | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998年 | ウェスト・コンペティション | OSC 2 | IMO 4 | CAT 26 | SIL 2 | MON 1 | PAU 3 | A1R 7 | HOC 1 | HUN 1 | SPA 4 | PER 2 | NÜR 9 | 2位 | 58 |
1999年 | IMO 1 | MON 7 | CAT 1 | MAG 1 | SIL 3 | A1R 1 | HOC Ret | HUN 2 | SPA 4 | NÜR 2 | 1位 | 59 |
F1
[編集]年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年 | プロスト | AP03 | プジョー A20 3.0 V10 | AUS 9 | BRA Ret | SMR Ret | GBR Ret | ESP 16 | EUR EX | MON 8 | CAN Ret | FRA 12 | AUT Ret | GER 12† | HUN Ret | BEL Ret | ITA Ret | USA 9 | JPN Ret | MAL Ret | 20位 | 0 | ||
2001年 | ザウバー | C20 | ペトロナス 01A 3.0 V10 | AUS 4 | MAL Ret | BRA 3 | SMR 7 | ESP 6 | AUT 9 | MON Ret | CAN Ret | EUR Ret | FRA 6 | GBR 6 | GER Ret | HUN 6 | BEL Ret | ITA 11 | USA 6 | JPN 9 | 8位 | 12 | ||
2002年 | C21 | ペトロナス 02A 3.0 V10 | AUS Ret | MAL 5 | BRA Ret | SMR 10 | ESP 4 | AUT Ret | MON 8 | CAN 12 | EUR 7 | GBR 6 | FRA 7 | GER 6 | HUN 9 | BEL 10 | ITA 10 | USA 9 | JPN 7 | 10位 | 7 | |||
2003年 | C22 | ペトロナス 03A 3.0 V10 | AUS Ret | MAL 8 | BRA Ret | SMR 10 | ESP 10 | AUT Ret | MON 11 | CAN Ret | EUR 8 | FRA 13 | GBR 17 | GER 10 | HUN 9 | ITA 9 | USA 5 | JPN 9 | 14位 | 6 | ||||
2004年 | ジョーダン | EJ14 | フォード RS2 3.0 V10 | AUS Ret | MAL Ret | BHR 15 | SMR Ret | ESP Ret | MON 7 | EUR 10 | CAN 8 | USA Ret | FRA 16 | GBR 15 | GER Ret | HUN 12 | BEL 11 | ITA 14 | CHN 13 | JPN 13 | BRA Ret | 18位 | 3 | |
2005年 | ウィリアムズ | FW27 | BMW P84/5 3.0 V10 | AUS Ret | MAL 3 | BHR Ret | SMR 6 | ESP 10 | MON 2 | EUR 2 | CAN Ret | USA DNS | FRA 14 | GBR 12 | GER 11 | HUN 6 | TUR Ret | ITA PO | BEL | BRA | JPN | CHN | 11位 | 28 |
2006年 | BMWザウバー | F1.06 | BMW P86 2.4 V8 | BHR 12 | MAL Ret | AUS 4 | SMR 13 | EUR 10 | ESP 8 | MON 7 | GBR 7 | CAN 7 | USA Ret | FRA 8 | GER Ret | HUN 3 | TUR 14 | ITA 8 | CHN 7 | JPN 8 | BRA 17† | 9位 | 23 | |
2007年 | F1.07 | BMW P86/7 2.4 V8 | AUS 4 | MAL 4 | BHR 4 | ESP Ret | MON 6 | CAN 2 | USA Ret | FRA 5 | GBR 6 | EUR 6 | HUN 3 | TUR 4 | ITA 4 | BEL 5 | JPN 14† | CHN 7 | BRA 6 | 5位 | 61 | |||
2008年 | F1.08 | BMW P86/8 2.4 V8 | AUS 2 | MAL 6 | BHR 4 | ESP 9 | TUR 5 | MON 14 | CAN 2 | FRA 13 | GBR 2 | GER 4 | HUN 10 | EUR 9 | BEL 2 | ITA 5 | SIN 6 | JPN 9 | CHN 5 | BRA 10 | 6位 | 60 | ||
2009年 | F1.09 | BMW P86/9 2.4 V8 | AUS 10 | MAL 2‡ | CHN 12 | BHR 19 | ESP 7 | MON 11 | TUR 11 | GBR 15 | GER 10 | HUN 11 | EUR 11 | BEL 5 | ITA 7 | SIN Ret | JPN 6 | BRA Ret | ABU 5 | 13位 | 19 | |||
2010年 | ザウバー | C29 | フェラーリ 056 2.4 V8 | BHR | AUS | MAL | CHN | ESP | MON | TUR | CAN | EUR | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | SIN Ret | JPN 8 | KOR 9 | BRA 17 | ABU 11 | 18位 | 6 |
2011年 | ロータス・ルノーGP | R31 | ルノー RS27 2.4 V8 | AUS 12 | MAL 3 | CHN 12 | TUR 7 | ESP 8 | MON 8 | CAN Ret | EUR 10 | GBR 8 | GER Ret | HUN Ret | BEL | ITA | SIN | JPN | KOR | IND | ABU | BRA | 11位 | 34 |
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
- † : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
- ‡ : ハーフポイント。レース周回数が75%未満で終了したため、得点が半分となる。
フォーミュラE
[編集]年 | エントラント | 車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014-15年 | ヴェンチュリー・グランプリ | スパーク-ルノー・SRT 01E | BEI 13† | PUT DSQ+ | PDE 10+ | BNA 8+ | MIA 12 | LBH 11 | MON 10 | BER 5 | MOS 3 | LON 13 | LON Ret | 12位 | 31 | |
2015-16年 | マヒンドラ・レーシング | スパーク-マヒンドラ・M2エレクトロ | BEI 3 | PUT 9+ | PDE | BNA 7 | MEX 8 | LBH 4+ | PAR 12 | BER 7+ | LON 13+ | LON 7 | 10位 | 53 | ||
2016-17年 | スパーク-マヒンドラ・M3エレクトロ | HKG 3 | MAR 9 | BNA 15 | MEX 12 | MON 3 | PAR 3 | BER 3 | BER 10 | NYC Ret | NYC 3+ | MTL Ret | MTL 5 | 7位 | 88 | |
2017-18年 | スパーク-マヒンドラ・M4エレクトロ | HKG 3 | HKG 16 | MAR 7 | STI Ret | MEX Ret | PDE Ret | ROM 16 | PAR 11 | BER 10 | ZUR 6 | NYC 6 | NYC 8 | 11位 | 42 |
耐久レーシング
[編集]ル・マン24時間レース
[編集]年 | エントラント | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回数 | 順位 | クラス 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1999年 | AMG-メルセデス | クリストフ・ブシュー ピーター・ダンブレック | メルセデス・ベンツ CLR | LMGTP | 75 | DNF | DNF |
2012年 | レベリオン・レーシング | ニコラ・プロスト ニール・ジャニ | ローラ・B12/60-トヨタ | LMP1 | 367 | 4位 | 4位 |
2013年 | ニコラ・プロスト ニール・ジャニ | 275 | 39位 | 7位 | |||
2014年 | ニコラ・プロスト マティアス・ベシェ | レベリオン・R-One-トヨタ | LMP1-L | 360 | 4位 | 1位 | |
2015年 | ニコラ・プロスト マティアス・ベシェ | レベリオン・R-One-AER | LMP1 | 330 | 23位 | 10位 | |
2016年 | ネルソン・ピケJr. ニコラ・プロスト | 330 | 29位 | 6位 |
FIA 世界耐久選手権
[編集]年 | エントラント | クラス | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ランク | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012年 | レベリオン・レーシング | LMP1 | ローラ・B12/60 | トヨタ RV8KLM 3.4 L V8 | SEB 17 | SPA 5 | LMS 3 | SIL | SÃO | BHR | FUJ | SHA | 14位 | 42.5 | |
2013年 | SIL 5 | SPA 5 | LMS 20 | SÃO 3 | COA 4 | FUJ | SHA | BHR | 8位 | 48 | |||||
2014年 | SIL 4 | SPA 7 | LMS 4 | COA 7 | FUJ 12 | SHA 7 | BHR 7 | SÃO 8 | 10位 | 64.5 | |||||
2015年 | レベリオン・R-One | AER P60 2.4 L Turbo V6 | SIL | SPA | LMS 19 | NÜR 16 | COA 15 | FUJ | SHA | BHR | 29位 | 2 | |||
2016年 | SIL 4 | SPA 4 | LMS 13 | NÜR 17 | MEX | COA | FUJ | SHA | BHR | 14位 | 25.5 |
(key)
アメリカン・ル・マン・シリーズ
[編集]年 | エントラント | クラス | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | ランク | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013年 | レベリオン・レーシング | P1 | ローラ・B12/60 | トヨタ RV8KLM 3.4 L V8 | SEB 3 | LBH 2 | LAG 2 | LRP | MOS | ROA | BAL | COA | VIR | ATL 1 | 2位 | 82 |
(key)
スポーツカー選手権
[編集]年 | エントラント | クラス | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | ランク | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2017年 | レベリオン・レーシング | P | オレカ・07 | ギブソン GK428 4.2 L V8 | DAY 8 | SEB 9 | LBH | COA | DET | WGL | MOS | ELK | LGA | PET 8 | 22位 | 68 |
(key)
ツーリングカー・レーシング
[編集]ポルシェ・スーパーカップ
[編集]年 | エントラント | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | ランク | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012年 | ポルシェ・AG | BHR | BHR | MON | VAL | GBR | GER 10 | HUN | HUN | BEL | ITA | NC‡ | 0‡ |
(key)
- ‡ : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。
V8スーパーカー
[編集]年 | チーム | 車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012年 | ロッド・ナッシュ・レーシング | フォード・FG ファルコン | ADE R1 | ADE R2 | SYM R3 | SYM R4 | HAM R5 | HAM R6 | BAR R7 | BAR R8 | BAR R9 | PHI R10 | PHI R11 | HID R12 | HID R13 | TOW R14 | TOW R15 | QLD R16 | QLD R17 | SMP R18 | SMP R19 | SAN Q | SAN R20 | BAT R21 | SUR R22 Ret | SUR R23 13 | YMC R24 | YMC R25 | YMC R26 | WIN R27 | WIN R28 | SYD R29 | SYD R30 | NC | 0† |
(key)
- † : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ ハイドフェルド「キミには負けない」 F1速報 2003年7月29日
- ^ “ニック・ハイドフェルド、「予選の改善には多くのプロセスがある」”. F1 Gate.com. (2008年6月20日) 2010年9月15日閲覧。
- ^ “メルセデスGP、ニック・ハイドフェルドをリザーブ兼テストに起用”. F1 Gate.com. (2010年2月4日) 2010年2月4日閲覧。
- ^ “ニック・ハイドフェルド、ピレリの公式テストドライバーに就任”. F1 Gate.com. (2010年8月17日) 2010年8月17日閲覧。
- ^ “ザウバー、ニック・ハイドフェルドの起用を正式発表”. F1 Gate.com. (2010年9月14日) 2010年9月15日閲覧。
- ^ “ロータス・ルノーGP、ニック・ハイドフェルドをテスト”. F1-Gate.com. (2011年2月10日) 2011年2月15日閲覧。
- ^ “F1ヘレステスト3日目:ニック・ハイドフェルドがトップタイム!”. F1-Gate.com. (2011年2月13日) 2011年2月15日閲覧。
- ^ “ニック・ハイドフェルド、ロバート・クビサの代役に決定”. F1-Gate.com. (2011年2月17日) 2011年2月17日閲覧。
- ^ a b 『オートスポーツ』通巻1313号、p.58
- ^ 『オートスポーツ』通巻1313号、p.59
- ^ 『F1速報』2011年9月25日号 第12戦ベルギーGP、三栄書房、p.68
- ^ “ニック・ハイドフェルド、ロータス・ルノーGPの離脱に合意”. F1-Gate.com. (2011年9月3日) 2011年9月7日閲覧。
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- ニック・ハイドフェルド 公式サイト(英語/ドイツ語)
- Nick Heidfeld (@NickHeidfeld) - X(旧Twitter)
タイトル | ||
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先代 ヤルノ・トゥルーリ | ドイツF3チャンピオン 1997年 | 次代 バス・ラインダース |
先代 ファン・パブロ・モントーヤ | 国際F3000チャンピオン 1999年 | 次代 ブルーノ・ジュンケイラ |