徳永正利
徳永 正利 とくなが まさとし | |
---|---|
生年月日 | 1913年8月25日 |
出生地 | 山口県 |
没年月日 | 1990年9月23日(77歳没) |
出身校 | 海軍通信学校卒業 |
前職 | 日本遺族会事務局長 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 従二位 勲一等旭日桐花大綬章 参議院永年在職議員 |
第14代 参議院議長 | |
在任期間 | 1980年7月17日 - 1983年7月9日 |
天皇 | 昭和天皇 |
第44代 運輸大臣 | |
内閣 | 第2次田中角榮第1次改造内閣 |
在任期間 | 1973年11月25日 - 1974年11月11日 |
選挙区 | (全国区→) 比例区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1959年6月2日 - 1989年7月9日 |
その他の職歴 | |
第10代 自由民主党参議院議員会長 (総裁:福田赳夫、大平正芳) (1977年 - 1980年) |
徳永 正利(とくなが まさとし、1913年8月25日 - 1990年9月23日)は、日本の政治家、参議院議長(第14代)、運輸大臣(第43代)、参議院議員(5期)。山口県下関市(旧菊川町)[1]出身。
経歴
[編集]海軍通信学校卒業[1]。海軍中尉で終戦を迎える[1]。日本遺族会に入り、同事務局長や日本遺族厚生連盟を歴任して1959年の第5回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬し初当選[1]。政務では、参議院の大蔵委員長や議院運営委員長、第2次田中角栄第1次改造内閣で運輸大臣を歴任。党務では、参議院幹事長、総裁が福田、大平の下では参議院議員会長を歴任。党内では佐藤派→田中派→竹下派に所属した。
1980年の衆参同日選で陣頭指揮を執り自民党は圧勝、参議院議長に就任。1982年に公職選挙法改正案(地方区・全国区制から都道府県地方選挙区・各政党比例代表制へ変更)を成立させた。1983年の参院選後に議長を退任。1989年の参議院選挙には立候補せず引退。同年11月に勲一等旭日桐花大綬章を受章[2]。1990年9月23日死去、77歳。死没日をもって正八位から従二位に叙される[3]。
元秘書
[編集]選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 | 比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第5回参議院議員通常選挙 | 1959年6月2日 | 全国区 | 自由民主党 | 276,000 | 50/123 | - | - | ||
当 | 第7回参議院議員通常選挙 | 1965年7月4日 | 全国区 | 自由民主党 | 490,281 | 35/99 | - | - | ||
当 | 第9回参議院議員通常選挙 | 1971年6月27日 | 全国区 | 自由民主党 | 577,559 | 33/106 | - | - | ||
当 | 第11回参議院議員通常選挙 | 1977年7月10日 | 全国区 | 自由民主党 | 838,427 | 19/102 | - | - | ||
当 | 第13回参議院議員通常選挙 | 1983年6月26日 | 比例代表 | 自由民主党 | 1 | - | ||||
当選回数5回 (参議院議員5) |
脚注
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 新谷寅三郎 | 運輸大臣 第44代:1973年 - 1974年 | 次代 江藤智 |
議会 | ||
先代 安井謙 | 参議院議長 第14代:1980年 - 1983年 | 次代 木村睦男 |
先代 古池信三 | 参議院予算委員長 1971年 - 1972年 | 次代 大竹平八郎 |
先代 鍋島直紹 | 参議院議院運営委員長 第25・26代:1967年 - 1971年 | 次代 鍋島直紹 |
先代 西田信一 | 参議院大蔵委員長 1966年 - 1967年 | 次代 竹中恒夫 |
党職 | ||
先代 安井謙 | 自由民主党参院議員会長 第10代:1977年 - 1980年 | 次代 町村金五 |