能登半島地震 (2024年)
令和6年能登半島地震[1] | |
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被災した輪島市朝市通り付近で捜索活動を行う自衛隊(2024年1月6日) | |
震源の位置(USGS) | |
震央の位置(気象庁) | |
本震 | |
発生日 | 2024年(令和6年)1月1日 |
発生時刻 | 16時10分9.692秒(JST、USGS[2]) 16時10分22.5秒(同、気象庁[3][注釈 1]) |
持続時間 | 約40秒[5] |
震央 | 日本 石川県能登地方 |
座標 | 北緯37度29.7分 東経137度16.2分 / 北緯37.4950度 東経137.2700度[6][注釈 2](気象庁[注釈 1]) 北緯37度29分17秒 東経137度16分16秒 / 北緯37.488度 東経137.271度[注釈 3] (USGS) |
震源の深さ | 気象庁:16 km[注釈 1] USGS : 10.0 km |
規模 | Mj7.6、Mw7.5[9] (7.43[5])、Mb6.9、Ms207.2[10][注釈 4] |
最大震度 | 震度7:石川県輪島市門前町走出[注釈 5]、羽咋郡志賀町香能(最大計測震度:志賀町香能6.69) |
津波 | 最大観測高[注釈 6](日本国内) 80 cm:石川県金沢、0.8 m:山形県酒田[注釈 7][11] 最大観測高(日本国外) 85 cm: 大韓民国 江原特別自治道東海市墨湖[12] 最大痕跡高 4.7 m:石川県鳳珠郡能登町白丸[11] 最大遡上高 5.8 m:新潟県上越市船見公園[注釈 8][11] |
断層 | F43断層・F42断層(国土交通省による名称) 猿山沖セグメント・珠洲沖セグメントの直下の断層(地震調査委員会) |
地震の種類 | 地殻内地震(逆断層型)[9] |
地すべり | 各地で発生したが具体的な件数は不明[注釈 9] |
前震 | |
回数 | 1回(最大震度1以上[注釈 10]) |
最大前震 | 2024年1月1日 16時06分、Mj5.5、最大震度5強[3] |
余震 | |
回数 | 1698回(最大震度1以上、2024年2月29日16時時点)[13] |
最大余震 | 2024年11月26日 22時47分、Mj6.6、最大震度5弱[注釈 11] |
被害 | |
死傷者数 | 死者 462人(うち災害関連死 235人)、行方不明者 3人、負傷者 1,336人(2024年11月26日14時時点、6月3日の余震による被害を含む)[16] |
被害総額 | 1.1兆円 - 2.5兆円(各地の震度からの推計[17]) |
被害地域 | 中部地方、近畿地方の一部 |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
能登半島地震(のとはんとうじしん)は、2024年(令和6年)1月1日16時10分(JST)に、日本の石川県の能登半島地下16 km[18]、鳳珠郡穴水町の北東42 km[注釈 12][2]の珠洲市内で発生した内陸地殻内地震[20]。地震の規模はМ7.6[21][22][23](気象庁)で、輪島市と羽咋郡志賀町で最大震度7を観測した[6]。震度7が記録されたのは、2018年の北海道胆振東部地震以来、観測史上7回目となる。
能登半島西方沖から佐渡島西方沖にかけて伸びる活断層を震源とする[9]。能登地方では2018年ごろから群発地震が発生しており[24]、特に2020年12月ごろ本震までの地震回数はそれまでの約400倍に増加していた[25][26](前震と余震の詳細は能登群発地震を参照[注釈 13])[6][13]。
この地震により日本海沿岸の広範囲に津波が襲来したほか[5]、奥能登地域を中心に土砂災害、火災、液状化現象、家屋の倒壊、交通網の寸断が発生し、甚大な被害をもたらした[27]。元日に発生したこともあり、帰省者の増加による人的被害の拡大や[28]新年行事の自粛[29]など社会的にも大きな影響があり、本地震の翌日には被災地の救援のため派遣された航空機による航空事故(羽田空港地上衝突事故)も発生した[30]。
名称
この地震の本震は、気象庁が2018年に定めた陸域で発生した地震の命名の要件[31]のうち「Mj7.0以上(深さ100 km以浅)かつ最大震度5強以上」という要件を満たしていた。また、この要件においては定めた名称が一連の地震活動全体を指すことも定められていた[31]。そのため、気象庁は発生当日の18時過ぎから開いた記者会見において、最大震度7の本震を含む2020年12月以降の一連の地震活動(能登群発地震)を「令和6年能登半島地震」(英:The 2024 Noto Peninsula Earthquake)と命名した[1][32][33]。この名称の中には石川県が「令和5年奥能登地震」と命名した2023年5月5日の地震も含まれている[34]。地震活動に対して気象庁が命名を行うのは、2018年(平成30年)9月の北海道胆振東部地震以来約5年4か月ぶりで[1]、気象庁が初めて地震活動に対する命名を行った1960年のチリ地震津波以降33回目であった[34][35]。
被災地の石川県を拠点とする地方紙である『北國新聞』や同新聞の傘下で富山県を拠点とする『富山新聞』などの一部マスメディア、石川県津幡町など被災地の一部の広報紙などにおいては主に見出しにおいて1.1大震災[19][36][37]という呼称を用いている。地震が発生して間もない時期には能登大地震[38]、石川大震災[39]という名称も用いられていた。日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』では主に見出しにおいて能登半島1.1地震という呼称を用いている[40]。その他、本記事の出典でも見受けられるように見出しで単に能登地震と表現される場合もある。
地震のメカニズム
断層運動と震源周辺の活断層
この地震は日本海東縁変動帯の西端で発生しており[41]、発震機構は、北西 - 南東方向に圧力軸を持つ逆断層型であった。また発震機構と地震活動の分布及び衛星測位システム (GNSS) 観測の解析から、震源断層は北東 - 南西に延びる150 km程度の、主として南東傾斜の逆断層であると考えられている[9]。防災科学技術研究所の推計では、震源断層の走向が213度・47度、傾斜が41度・50度、すべり角が79度・99度などとなっている[4]。また、気象庁は29か所の観測点のデータから、この地震のセントロイド(断層の全ての動きを1つの空間的・時間的な点に代表させた場合の座標並びに時刻)時刻を16時10分42.3秒、セントロイド位置を北緯37度29.2分 東経137度15.6分 / 北緯37.4867度 東経137.2600度[注釈 3]の深さ15 kmの位置(理論的に計算された波形と実際に観測された波形の一致度を表すバリアンスリダクションが81 %)、地震モーメント (Mo)と6方向のモーメントテンソル解を1020 N・mの単位でMoが2.14、Mrrが1.89、Mttが-0.83、Mffが1.15、Mrtが-0.23、Mrfが-0.6、Mtfが-1.1(断層の押し引きの境界と断層面のずれを表す非ダブルカップル(D.C.)成分比は-0.04)と計算している[42]。地震調査委員会委員長で東京大学名誉教授の平田直は地震翌日の会見で、この断層は既知のものではないと説明していた[43]。この地震以降、新潟県佐渡島の西方から能登半島西方にかけての約150 kmの範囲にわたって、地震活動域が広がっており[9]、余震が断続的に続いている[44]。震源域の東端は富山トラフの西端付近にある。震源域の西端は2007年の能登半島地震の震源域にかかり海士岬付近まで広がっているが、1993年の能登半島沖地震の震源域にはかかっていない[45]。遠田は日本列島の大きさを考慮すれば日本国内で100 km以上の長さの活断層が動く内陸性地震が発生することは稀であると述べている[46]。この地震によって破壊された全ての活断層が破壊されるまでには約40秒の時間がかかっている[47]。P波はヨーロッパ、北アメリカ、オセアニアなど世界各地で観測され、ウクライナのキーウ(キエフ)で338.3 μm、カザフスタンのマカンチで301.2 μm、フィリピンのダバオで202.1 μm、西オーストラリア州ナロジンで197.5 μm、ミッドウェー島で90.2 μm、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ハーバードで20.9 μm、ロシアのビリビノで18.7 μm、グリーンランドのカンゲルルススアークで3.2 μmなどの振幅が計測されている[5]。
宍倉正展らの研究によれば、能登半島には新生代第四紀更新世チバニアン期(中期更新世、約78万年前から約13万年前)以降の海成段丘が発達しており、完新世に形成された3段の低位段丘面も認められていた[48]。これは、数十万年以上前からごく最近まで地盤の隆起が発生していたことを示しており、この隆起は主に地震時の断層運動によって生じたという[49]。本地震では能登半島北部で最大約4 mの隆起が生じており(後述)、鹿磯漁港の北では約3.6 mの隆起により波食棚が干上がった様子が確認された。宍倉らはこれらを4段目の完新世低位段丘面が新たに生じたことを意味していると解釈している[50]。
東京大学地震研究所の石山ら[51]や産総研の宍倉[48]によると、2024年の地震で大きな隆起が観測された地域では、宍倉らの研究で報告された完新世低位段丘面も周囲と比べて標高が高く、本地震による隆起量と低位段丘面の旧汀線高度(波打ち際の高さ)が近似しているという。この事実は、この地域において本地震のようなマグニチュード7級の地震が繰り返し発生しており、それに伴って低位段丘面が形成されていった可能性があることを示していると考えられている。また、宍倉は地震直前の段階で、奥能登地震(2023年5月5日、Mj6.5)と同程度の規模の地震では説明できない隆起が過去に能登半島で発生した痕跡があり、今後奥能登地震より更に大きな地震が発生する可能性があることを論文で述べようとしていた矢先にその可能性が現実となったこと、現に本地震ほどの大地震が発生したために1 m未満の隆起が少しずつ堆積したという仮説を検討する必要がなくなったと述べている[52]。ただし、西村卓也はMj7クラスの地震が起きるとしてもそれはMj7台の前半であると考えており、この地震の本震で発生したMj7.6は「ワーストケースをさらに上回る」ものであったと述べている。一方で、地震が起きない可能性より起きる可能性の方が高いと言える状況ではなかったことから、住宅の耐震化を進めるよう呼びかけることまではできなかったと述懐している[53]。
2007年の能登半島地震以降に行われた沿岸海域調査によって、能登半島の北岸沿岸に沿って南東側隆起の逆断層の海底活断層群が分布していることが知られていた[45]。井上・岡村(2010)では西から東に、門前沖・猿山沖・輪島沖・珠洲沖の4つのセグメントに区分している[54][注釈 14](国交省ほか(2014)のF43に該当[56])。セグメントを用いたこのモデルは日本海の拡大に伴う地殻の変動を考慮して作成されたものである[57]。さらに、2023年の段階で北陸電力はこの4つのセグメント、全長約90 kmの連なりを「能登半島北部沿岸域断層帯」と総称し、これらが連動して起きる地震の発生の可能性について論じていた[55]。本地震は、これらの断層による活動である可能性が指摘されている[58]。2024年3月11日の地震調査委員会による報告では、この地震は猿山沖セグメントと珠洲沖セグメントのさらに下に重なっている活断層によって発生したと結論付けられた[59]。両セグメントの中間に位置する輪島沖セグメントに関しては、付近の水深が浅く船舶を用いた調査が困難であるため地震との関係については不明である[60]。一方、「○○セグメント」のように細かく活断層を分割していたことで地震のリスクを過小評価していたという指摘もある[61]。また、珠洲沖セグメントの北東延長上には北西傾斜の逆断層が分布しており、余震もこの断層に沿っても分布しているが、本地震とこの断層との対応関係は不明[58][62]。なお、宍倉と岡村はこれらの活断層について、反射断面の分析から垂直変位の速度が1000年あたり1 m以上のA級の活断層である可能性が高いと指摘している[57]。
これらの他に、能登半島地震の震源となった断層から約20 km離れた志賀町の富来川沿いでは3 km以上にわたり断層が地表に現れたものと考えられる地盤のずれや盛り上がりが発見されており、富来川南岸断層が能登半島地震の影響で一緒に動いたいわゆる「お付き合い断層」であることを示唆している。しかし、このような「お付き合い断層」と震源断層との距離は熊本地震の場合せいぜい数 kmに過ぎず、20 km前後も離れていた事例はこの地震以外に確認されていない[63]。この断層の変形量は上下に50 cm前後で、その他に地殻変動に伴う南北方向の圧縮に伴い10 cmから数十 cmの左横ずれが発生しており、この結果は地殻変動の観測結果とも矛盾していない[64]。
震源域での地震予測
本地震以前に提示されていた断層モデル資料としては、日本海における大規模地震に関する調査検討会(2014)のF43[注釈 15][56]、日本海地震・津波プロジェクト(2015)のNT4[注釈 16][65]、石川県(2023)の津波浸水想定区域図における能登半島北方沖[66]などが存在していた。一方で、石川県(2023)の想定地震断層には含まれておらず[67]、地震調査委員会も一連の群発地震活動の評価にて能登半島北岸の活断層の存在を記述していた[68]。一方、この地震や2007年の新潟県中越沖地震を引き起こしたような沿岸の活断層については、陸上や沖合の活断層のように地形を手掛かりにしたり地面を掘削したりして調べることや、海溝型地震を引き起こす海底地形のように海底で超音波を発して調査することが難しかった。海底でもようやく地形を手掛かりにして調査を行うための技術が出てきたが[61]、長期評価は2017年に始まったばかりであった。九州地方の五島列島沖合から中国地方の北方の沖合に関してはこの地震が発生する前の2022年3月25日に長期評価の結果が公表されていた[69]。その後、この地震の震源域を含む近畿地方北方と北陸地方の沖合の活断層に関して長期評価が進められていたが、地震が発生した際には確率評価・地域評価はいずれも評価中であり、評価結果の公表は本地震の発生には間に合わなかった。そのため、地震調査研究推進本部は方針を転換し、確率評価・地域評価が評価中でも地震の可能性がある活断層が存在することが判明した段階で評価の完了を待たずに活断層に関係する情報を迅速に公表することとした[70]。今回の地震が発生したような日本海の東岸沿いではユーラシアプレートと北アメリカプレート[注釈 17]が隣り合っていることから、そこで起きる地震は長期評価において海溝型地震として取り扱われていたが、この地域には無数の断層がひしめき合っており、海溝はないことから、遠田はこのような取り扱いは現実の地形に見合っていないと指摘している[72]。また、F43断層の情報に関しては津波の予想にしか使われておらず、陸域での揺れの予想には使われていなかったことを遠田は指摘している[73]。
また、2012年に経済産業省資源エネルギー庁の原子力安全・保安院(現在の環境省原子力規制委員会)で行われた地震・津波に関する意見聴取会では、能登半島北部の4本の活断層が連動した場合、最大でMj8.1(Mw7.66))の巨大地震が発生する可能性があるという北陸電力の予測が示されていたが、地震調査研究推進本部による長期評価が終了していないことを理由に石川県の地域防災計画では1997年度に発表されていた「Mj7.0、死者7人、建物全壊120棟」などと、実際のこの地震の規模や実際に本地震で発生した被害と比べるとかなり過少な想定を維持していた[74]。2013年から2014年にかけても、政府の有識者検討会でF43を震源とするMj7.6の地震の発生が想定されており、これは実際に2024年1月1日に発生した本震の規模と同じであった[75]。しかし、当時石川県知事であった谷本正憲は熊本地震前の熊本県、北海道胆振東部地震前の道央地域などと同様、全国地震動予測地図[76]で能登半島を含む県内の大部分に関して30年以内に震度6弱以上の地震が起こる確率が0.1 %から3 %の範囲内であるとされていたことを根拠に「石川県は地震が少ない地域である」などとアピールして企業の誘致を行っており[77][注釈 18]、事前の対策を求める議論には発展していなかった[79]。2022年に馳浩が石川県知事に就任してから地域防災計画の改定が進み、新しい計画が2025年度以降に公表される予定であったが、その前にこの地震が発生することとなった[74]。富山県も企業立地ガイドのホームページで「台風・地震や津波などが非常に少なくリスク分散に最適です」などと紹介し、全国地震動予測地図で30年以内に(富山市で)震度6弱以上の揺れが起きる確率が5.2 %と太平洋沿岸より低いことを富山県の魅力として広報していた[80]。地震調査研究推進本部の平田直も海域活断層の評価が遅くなったことに関して後悔の念を示している他[75]、東京女子大学名誉教授の広瀬弘忠も自治体が国に依存せず自力で災害に対応できる能力を養うべきであったと表明した[74]。2007年の能登半島地震では住宅の倒壊による死者は出なかったが、石川県の災害危機管理アドバイザーを務めている神戸大学名誉教授の室崎益輝はこのことも予想の見直しを妨げたと指摘している[81]。また、東京新聞は、地震が発生する確率で色分けされた地震調査研究推進本部の全国地震動予測地図によって南海トラフ巨大地震や南関東直下地震(首都直下地震)ばかりが注目され、それ以外の地域では地震が起きないと誤解されていたことがこの地震に対する油断に繋がった可能性を指摘している[82]。地震学者でさえ、能登半島北部の活断層の存在を知らない者も少なくなかった[72]。
2月29日に行われた地震予知連絡会の第242回会合では、当初の計画である「火山と地震」から変更してこの地震について話し合われ[83]、この地震に関する研究結果などが報告されると共に、この地震を教訓に群発地震の際には規模の大きな地震が起きる危険性について具体的に周知すべきであるという意見が出された[84]。その一方で、例えば「F43断層が動いて大地震が発生する可能性がある」のように、具体的な断層の名前まで伝えて地震への警戒を呼び掛けるかどうかに関しては今後検討すべき課題であるとされた。2024年11月に行われる予定の地震予知連絡会の第245回会合では「阪神・淡路大震災から30年、能登半島地震から1年 ― 内陸地震予測の進展と課題 ―」と題して、再びこの地震に対しての検討が行われることが決まっている[57]。
流体の活動
今回の地震の原因に関して、地下にある流体も指摘されている。この流体に関して詳細は不明であり地下で直接気体や液体が観測されたわけではないが、能登半島近辺には火山が存在しないことと地殻変動の観測などからマグマではなく水であると指摘されている[85]。水は火山が存在しない場所でも急に上昇する可能性がある[86]。能登半島の地下300 km程度の深さに沈み込んでいる太平洋プレートを形成する鉱物には水分が多く含まれている。この鉱物は地下の高温・高圧により脱水反応を起こし、水を含まない鉱物と水とに分解される[87]。このようにして生成された大量の水が2020年11月以降、太平洋プレート内から徐々に染み出して次第に上昇し、29,000,000 m3(東京ドーム23個分)の水が地下16 km程度にまで到達した。このような現象が起こった原因としては、東北地方太平洋沖地震後に東西のプレートが押し合う力が弱くなったためであると考えられている[86]。この水は岩石の融点を下げてマグマの形成を助けるほどの量ではなかったものの[87]、能登半島周辺の活断層に流れ込んで断層を圧迫することで群発地震を引き起こし、さらに元々歪みが溜まっていた断層にまで水が達したことで今回のMj7.6の地震が発生したと推測されている[86]。つまり、能登半島の地下に特有の[87]水の層が断層を動かしやすくする潤滑油のような役割を担っているという意味である[86]。ただ、それまでの群発地震で水による歪みは解消されており、今回発生したのは水が少ない地域であったという異論もある。今回の地震後に流体がどうなったのか、活断層の歪みがどうなったのか等に関してはまだ不明な点が多い[88][89]。なお、同一の地盤内で小さな地震と大きな地震の起きる比率は決まっているため、群発地震により小規模の地震が非常に多くなったことは大地震が発生する確率も非常に高くなったことを意味していると遠田は述べている[90]。
また、このような仕組みにより、群発地震では地盤の隆起が発生するタイミングと地震が発生するタイミングが異なっており、地震の震源は時間が進むに連れて浅くなったことも明らかになっている[91]。しかし、流体により発生した歪みに相当する力のモーメント(トルク)は1.10×1018 N・m[注釈 19]と本震によって解消した歪みの200分の1でしかないことから、流体の作用だけによって今回の地震が発生したとは考えにくい[93]。
他の地震・火山への影響
この地震は規模が大きかったため、1月11日に行われた南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会の会合ではこの地震が南海トラフ沿いでの微小な地震や地殻変動に与えた影響が分析されたが、その結果、この地震により南海トラフ巨大地震の発生に結び付くような変化は確認できなかったとの判断が行われた[94]。京都大学防災研究所の西村卓也は、阪神大震災以降、2000年の鳥取県西部地震・16年の熊本地震など内陸性の大地震が相次いでいる西日本は南海トラフ巨大地震の約50年前から始まる地震の活動期に入っていると指摘した上で、能登半島地震自体は震源が南海トラフから非常に遠い上、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込んでいるのが南から北の方向であることを考慮してもこの活動期と直接の関連はないとの見方を示した[95]。一方、この地震の津波の特徴であった、第1波がすぐに到達して長時間続き、最大波は遅れるといった点は南海トラフで発生する巨大地震とも共通していた[96]。なお、今回の地震による作業の遅れと、本地震から得た教訓を生かすことにより、2024年春に予定されていた南海トラフ巨大地震の防災計画見直しは延期されることが決定した[97]。
この地震の発生した1月1日から1月4日前後と、1月8日から1月11日にかけて、立山連峰・弥陀ヶ原火山の地獄谷南側で火山性地震が一時的に増加したが、弥陀ヶ原の想定火口域では地震活動や火山活動は活発になっておらず、その後は地獄谷南側の火山性地震も落ち着いている[98]。このような地震活動の増加に関しては、富山地方気象台では能登半島地震の影響かは断定できないと判断されている[99]。
過去の地震との比較
アメリカ地質調査所(USGS)によれば、この地震の震源の半径250 km以内では1900年以降本震の直前までにM6以上の地震が30回発生しており、そのうち3回は能登半島とその近辺で発生している(1993年の能登半島沖地震、2007年の能登半島地震、2023年の奥能登地震)。しかし、そもそも地震の多い日本にあって、震源周辺での地震発生回数は太平洋側と比べると少なかった[2]。
石川県能登地方を震源とする地震としては、このMj7.6という地震の規模は記録が残っている1885年(明治18年)以降では最大であり[注釈 20][19][101]、1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災を引き起こした地震)や2016年の熊本地震本震のMj7.3と比較しても約2.8倍の規模に相当した一方で、海溝型地震であり日本における観測史上最大規模の地震であった東北地方太平洋沖地震のMw9.0と比較すると約128分の1の規模に過ぎなかった[102][103]。活断層による地震としてはMj7.6は日本国内では過去100年間で最大規模であり[104]、内陸部を震源とする地震としては関東大震災を引き起こした1923年9月1日の関東地震以来の規模であった[105]。また、西南日本に限れば1946年12月21日の昭和南海地震以来の規模であり、西南日本の地殻内で発生した地震としては1891年10月28日の濃尾地震[注釈 21]以来の規模であった[23]。日本国内で震度を観測したすべての地震活動と比較しても、深発地震[注釈 22]を除いて、あるいは本州付近に被害をもたらした地震としては、2011年にMw9.0(Mj8.4)を記録した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災を引き起こした地震)とそれに伴う余震[注釈 23]以来の規模となった[100][111]。能登半島での群発地震における一連の地震活動の中で最大であった2023年5月の奥能登地震のMj6.5と比較すると規模は40倍から50倍にもなった[111]。2020年以降2023年末までに起きた群発地震のエネルギーを全て合計した数値と比較しても、この地震によるエネルギーは約35倍、2007年の能登半島地震と比較すると約11倍になる[112]。
一方で、地震計による観測が始まる以前に発生した歴史地震、更には文献の残っていない時代に発生した先史地震を含め、2024年の地震の震源周辺の能登半島北部でこの地震と同じ程度の規模の地震がどの程度の頻度で発生してきたのかについては定かではない。能登半島においてこの地震より前にMj7以上の規模であった可能性のある大地震が発生したのは1729年の能登・佐渡地震(享保能登地震、Mj6.6 - 7.0)が最後であった[113]。能登・佐渡地震においても2024年の地震と同じ断層が動いたと考えられているが、この断層が動くのは1000年に一度ほどの頻度と考えられてきたことから、300年も経たずに再び大地震が起きたのは不可解という意見もあった[114]。他方で2024年の地震は能登・佐渡地震と比べても8倍から32倍の規模であり、震源断層の長さは7倍、重蔵神社などの例からも分かるように被害も佐渡島を除いてはるかに大きかった[113]。震源周辺の海成段丘による研究から、縄文海進がピークを迎えた紀元前4000年ごろ、ないしは能登半島近辺での海面上昇がピークを迎えた紀元前1500年ごろからこの地震の直前までの間に3回の大地震が発生していることが分かっており、頻度としては起点として前者を採用するなら2000年に一度程度、後者を採用するなら1000年に一度程度となっている。ただ、海面変動の影響を考慮する必要があるもののこれらの大地震による隆起の規模は2024年の地震によるものより小さいことから、宍倉はこの地震は能登半島で発生しうる地震としては最大級の地震であると話している[115]。石川県と富山県における津波堆積物のボーリング調査からは、紀元前500年ごろに今回とほぼ同じ地域で大津波が押し寄せた痕跡が見つかっており、今回と同じ震源域での大地震が発生した可能性がある他、これより規模は小さく別の地域で発生した地震の可能性が残るものの珠洲市では西暦紀元前後から300年ごろと9世紀から10世紀の合計で3回、富山湾沿岸では紀元前5900年から前5800年ごろと紀元前2700年から紀元前2500年ごろ、それに13世紀の合計で4回の津波堆積物が確認されている。堆積物自体は2015年に発見されていたが、この地震が発生するまではどのような地震による津波堆積物なのかは不明であった[116]。宍倉と岡村は隆起の痕跡を元に、複数のセグメントが連動することで発生するMj7を超える地震と単一のセグメントによって発生するMj7に満たない地震との両方がこの地域では発生しており、前者は1 m以上の隆起を引き起こしているのに対し、後者は隆起を引き起こしたとしても1 m未満であると指摘している[57]。
観測された揺れ
各地の震度
石川県能登地方で最大震度7が観測されたほか、本州・四国のほぼ全域と九州・北海道の一部など、北海道釧路市黒金町(震度1)から鹿児島県鹿児島市桜島赤水新島(震度2)まで、長崎県と沖縄県を除く45都道府県で震度1以上の揺れが観測された[6]。全国にある4375か所[117]の震度観測点のうち、震度1以上を観測した観測点は約65 %の2829地点[注釈 24]にのぼり、2013年以降では最多となった[120]。
石川県輪島市・羽咋郡志賀町で震度7、七尾市・珠洲市・鳳珠郡(穴水町・能登町)で震度6強、鹿島郡中能登町(以上いずれも石川県)と新潟県長岡市で震度6弱をそれぞれ観測した[6]。日本国内で公式に震度7を観測した地震は2018年(平成30年)の北海道胆振東部地震以来で、累計で7回目であった[121][122]。石川県では初めて震度7を観測した[123][19]。同一の地震で複数の観測地点において震度7を観測したのは2016年4月16日の熊本地震本震以来2回目である[124]。震源より西側にある志賀町で震度7を観測した理由として、断層の滑りが震源域の西部で大きかったことが考えられている[125]。輪島市鳳至町や珠洲市三崎町では、50秒間にわたって震度5強以上に相当する揺れが続いた[5]。また富山県では震度観測が計測震度に移行し、震度5と6がそれぞれ弱と強に2分割された1996年以降初めて最大震度5強を観測した。これは2007年の能登半島地震で観測した震度5弱を上回っており、同県内で観測された震度としては1996年以降最大である[126]。震源から300 km程度離れた[100]東京都特別区部でも最大で震度3を観測した[6]。
また、愛知県名古屋市・大阪府大阪市で震度4、宮城県仙台市・岡山県岡山市で震度3、青森県青森市・広島県広島市・香川県高松市で震度2、北海道札幌市・熊本県熊本市で震度1[注釈 25]など、日本全国の主要な都市で震度1以上の揺れを観測した[6]。USGSによれば、韓国[注釈 26]慶尚南道昌原市鎮海区と中華民国(台湾)新北市中和区で改正メルカリ震度階II(気象庁震度階級で震度1程度)、韓国の慶尚北道慶州市・京畿道の烏山市・始興市と中国の河南省平頂山市でメルカリ震度階I(無感)の揺れを記録している[128]。
地震発生直後には震度に関する情報が入電していない観測地点が複数あり、気象庁は当初、観測された最大の震度を輪島市で6強、能登町で6弱であったと発表していた。その後、輪島市門前町走出で震度7(計測震度6.5、推計震度分布では震度6強と推定されていた)、能登町の松波で震度6強(計測震度6.2、推計震度分布でも震度6強と推定されていた)、同町の柳田で震度6弱(計測震度5.8、推計震度分布でも震度6弱と推定されていた)をそれぞれ観測していたことが、同月25日までに判明した[119]。これら3か所の震度計はいずれも石川県が管理していたものであった。慶應義塾大学SFC研究所上席所員の纐纈一起は輪島市での震度7が地震直後に判明しなかったことは失態であり、気象庁の管理する震度計のように非常用電源を設置するなどの対策が必要であると指摘している[63]。一方、気象庁長官の森は記者会見でこの一件を受けた対策に関する記者からの質問に対し、阪神・淡路大震災を契機に当時(平成の大合併前)の各市区町村に震度計が設置されており、2024年現在では1つの市区町村に震度計が複数設置されている場合が多いことから、震度が全く分からなくなるような市区町村が出てくることは考えにくいという見解を明らかにしている[129]。
防災科学技術研究所が1月27日に公表した面的推計震度の正式版によると、気象庁の公式な記録として震度7を観測した輪島市・志賀町のほか、七尾市、珠洲市、能登町、穴水町において、震度7相当の揺れが発生したと推定される地域がある。また、中能登町にも震度6強相当の揺れが発生したと推定される地域がある他、羽咋市、小松市、能美市、富山県氷見市、高岡市、富山市、射水市、上市町、舟橋村、新潟県上越市、妙高市、新潟市西区、佐渡市にも震度6弱相当の揺れが発生したと推定される地域がある[130]。気象庁が発表した推計震度分布でも、志賀町・輪島市の他に七尾市能登島の一部地域に震度7と推定される地域があり[注釈 27]、羽咋市・宝達志水町・氷見市・上越市に震度6弱と推定される地域がある[131][出典無効]。
揺れと被害の関係
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Peak Acceleration Contour Map - 防災科学技術研究所による全国の最大加速度(震度0の地域を含む)を示した地図 |
強震観測網 (K-NET)の観測結果によれば、本地震で最大の地表加速度を観測したのは志賀町のK-NET富来観測点で、最大で2,828 Galの地表加速度を計測した[9]。気象庁によれば、同地点は2825.8ガルの地表加速度と計算されている[132]。その他にも能登半島北部の多くの観測点で最大加速度は1 G、最大速度は1 m/sを超え、2007年の能登半島地震や2023年の奥能登地震の際よりも大きかった[133]。
この地震で気象庁から震度7を観測したと発表された志賀町香能(K-NET富来、計測震度6.69)並びに輪島市門前町走出(輪島市役所門前総合支所、計測震度6.5)の他に、気象庁の地震情報で発表される地点ではないが、K-NET穴水(計測震度6.58)の観測点は震度7相当の激しい揺れを計測した。しかし、K-NET穴水周辺は木造建造物の全壊率が22.8%と被害が著しかったのに対し、K-NET富来周辺は0%(暫定)と被害が少なかった[注釈 28][135]。志賀町赤崎地区は被害の少なさから「奇跡の町」とも称された[136]。
京都大学防災研究所の研究グループは、このような差が生じたのはK-NET穴水では建造物への影響が大きい周期1 - 2秒の弾性加速度応答スペクトルが大きかったのに対し、K-NET富来では周期0.5秒以下の極短周期の弾性加速度応答スペクトルが卓越し加速度が大きかったものの、周期1-2秒の弾性加速度応答スペクトルが小さかったためであると非公式ではあるものの公表している[137]。このような周期が1秒から2秒の地震動は「キラーパルス」とも呼ばれ、木造住宅への被害が出やすいことが知られている[138]。一方、K-NET富来で観測されたような極短周期の地震動では墓石や灯篭が倒壊しやすいことが知られており、実際にK-NET富来の周辺では多くの墓石や灯篭に被害が確認された[139]。ギリシャ・クレタ工科大学のエヴァンゲリア・ガリーニはこのような非常に短い周期の地震動は通常M5.5以下の規模の地震で発生するものであり、M7.6の地震で発生したことには前例がほとんどなく、非常に驚くべきことであると指摘している[140]。なお、K-NET穴水は2007年能登半島地震の時[141]、やはり周期1-2秒の弾性加速度応答スペクトルが大きく、周辺の家屋の全壊率19%と大きな被害となっている。その後建て替えられたり、その時倒れずに残った家屋など、建物群としてはより耐震性が高くなっている状況下での今回の被害という点を考慮する必要があり、今回の状況は同様に周期1-2秒の弾性加速度応答スペクトルが大きかった1995年兵庫県南部地震時のJR山陽本線(JR神戸線)鷹取駅(兵庫県神戸市須磨区)周辺や、2016年熊本地震時の熊本県益城町並みの甚大な被害となったとしている[142]。
震度6強と発表された輪島市鳳至町(旧輪島測候所である金沢地方気象台輪島特別地域気象観測所に併設)、および輪島市河井町(K-NET輪島)の周辺も木造建物全壊率が30%前後と、震度7の志賀町香能よりもはるかに甚大な被害とされている[135]。これもK-NET輪島の周期1-2秒の弾性加速度応答スペクトルがK-NET富来(志賀町香能)より大きいからとしている[137][142]。遠田は、志賀町で震動の周期が短くなった理由として、輪島市や珠洲市より地盤が固かったことを挙げている[143]。株式会社Be-doが実施した常時微動(地震がない場合でも常に発生しているわずかな地面の震動)の調査結果によれば、地震による地盤の揺れやすさを示す表層地盤増幅率は内灘町西荒屋での2.29、輪島市門前町道下での1.24、志賀町富来での1.69などに対し、志賀町赤崎では富来の6割に満たない0.98と非常に低く、防災科学技術研究所の地震ハザードステーションによる5段階評価では最も揺れにくいことを示すランクAであり、このような違いから被害状況に相違が生まれたと推定されている。地震の卓越周期も赤崎では0.294秒となり以上の4地点で最も短かった。地盤が固いほど速く伝わるS波を利用した研究では、S波の速さが300 m/sに達する深度は西荒屋での65 m以上、富来では約22.5 m、道下では14 mであったのに対し赤崎ではわずか2.5 mであり、他の3地点で確認できた逆転層(深くなるほどS波の伝わる速さが遅くなる層)も確認できなかった[136]。一方、輪島市中心部で同じ方法で調査を行った結果では、被害が大きかった河井町で表層地盤増幅率が2.68と地震ハザードステーションによる評価で最も揺れやすいことを示すランクEであった他、地震の卓越周期は0.84秒と長く、S波の速さが100 m/sに達する深度が10 m前後、300 m/sに達する深度が50 mと非常に深かかったことから、地盤が軟弱であり揺れやすいだけでなく液状化も起こりやすい場所であったと推論された。なお、河井町での測定結果を建築基準法に当てはめた場合、最も軟弱な地盤として位置づけられている第三種地盤、すなわち壁の厚さを通常の1.5倍(第三紀層などの堅牢な地盤の地域と比べると2倍)にして建設しなければならない地域の地盤に相当する。擁壁の倒壊などが発生した山間部の輪島市堀町においても表層地盤増幅率が1.56、卓越周期が0.53秒、S波の速さが300 m/sに達する深度が25 mと山間部としては軟弱な地盤であった。これらの地域では地震ハザードステーションのハザードマップに掲載されていた表層地盤増幅率と比べると実測値が1.5倍以上大きくなっていたことから、実測によって地盤の固さを調べることは不可欠であると判断された[144]。
また、この地震の揺れに関してガリーニは、珠洲市内の震央に極めて近い地域ではまず初めに0.35 Gから0.45 G程度の加速度は比較的弱いもののごく近くから伝わってくる揺れが到来し、その約10秒後に震央の5 kmから50 km程度南西にある最も断層が強く破壊された地域からの加速度が0.76 Gから0.86 Gの激しい揺れが伝わり、さらに最初の揺れから約35秒後に震央から北東に約50 km離れた最も深い断層からのそれほど激しくはない揺れと震央から南西に約70 km離れた非常に浅い断層からの揺れが伝わったことで60秒以上の非常に長い時間にわたり揺れが続いた、というようにして3つの揺れに分けることができるものの、震央から南西に30 kmから35 km離れた輪島市中心部になるとこの3つの揺れは見かけ上ではほとんど区別できなくなり、揺れの大半は震央の南西から来た成分になったと指摘している[140]。
震度 | 観測点名 | 計測震度 | 地動最大加速度 PGA(cm/s2) | 地動最大速度 PGV(cm/s) | 木造建物全壊率 (%) | 2007年全壊率 (%) |
---|---|---|---|---|---|---|
7 | 志賀町香能 (K-NET富来) | 6.69 | 2725.0 2825.8‡ | 83.7 | (0) 参考* | - |
輪島市門前町走出 (輪島市役所門前総合支所) | 6.5 | 786.7‡ | (28.6) 暫定 | 19.3 | ||
K-NET穴水 | 6.58 | 1220.7 | 151.4 | 22.8 | 19.2 | |
6強 | 輪島市鳳至町 (輪島特別地域気象観測所) | 6.2 | 795.9‡ | 29.1 | 5.1 | |
輪島市河井町 (K-NET輪島) | 6.22 | 1627.6 1628.1‡ | 88.7 | 31.5 | 3.0 | |
珠洲市正院町 (K-NET正院) | 6.29 | 847.1 916.7‡ | 132.2 | (45.7)** 暫定 | ||
珠洲市大谷町 (K-NET大谷) | 6.26 | 1468.5 1466.5‡ | 103.1 | (46.4) 暫定 | ||
珠洲市三崎町(気象庁) | 6.1 | 1193.9‡ | ||||
能登町松波 (能登町内浦総合支所) | 6.2 | 732.8‡ | ||||
KiK-net内浦 | 6.31 | 788.3 | 115.2 | |||
KiK-net珠洲 | 6.25 | 766.1 | 117.0 | |||
穴水町大町 (K-NET大町) | 6.33 | 992.0 1001.1‡ | 106.4 | 1.4 | ||
七尾市垣吉町 (田鶴浜地区コミュニティセンター) | 6.1 | 732.0‡ | ||||
七尾市能登島向田町 (能登島地区コミュニティセンター) | 6.2 | 643.4‡ | ||||
* 周辺の家屋数が4軒と少ないため参考値[注釈 28]。 ** 2023年5月の奥能登地震で8.1%が全壊しており、この時の被害家屋は、全壊率を算出する際の分母・分子から除外。 ‡ 気象庁による最大加速度(3成分合成)[22] |
長周期地震動
長周期地震動について、最大の階級4を石川県能登(七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、能登町)で観測した。階級4を観測するのは、2013年の観測情報提供開始以来、2022年3月の福島県沖地震に続いて6回目[145]。また、階級1以上の長周期地震動は青森県から徳島県・島根県までの広い範囲で観測されている[146]。東京都と兵庫県など10の県では、緊急地震速報で予想された長周期地震動階級より実際に観測された長周期地震動階級の方が大きかった[147]。
階級 | 都道府県 | 観測点名 |
---|---|---|
4 | 石川県 | 七尾市本府中町、輪島市鳳至町、珠洲市三崎町、志賀町富来領家町、能登町宇出津 |
3 | 新潟県 | 上越市大手町、小千谷市城内、南魚沼市六日町、新潟空港、新潟市中央区美咲町 、新潟市秋葉区程島、新潟市西蒲区役所 |
富山県 | 魚津市釈迦堂、朝日町道下、高岡市伏木、小矢部市泉町 | |
石川県 | 羽咋市柳田町、金沢市西念、津幡町加賀爪 | |
長野県 | 諏訪市湖岸通り | |
2 | 秋田県 | 能代市緑町 |
山形県 | 酒田市亀ケ崎、遊佐町遊佐・小原田、河北町吉田、米沢市駅前 | |
茨城県 | 坂東市岩井、筑西市舟生 | |
埼玉県 | 熊谷市桜町、久喜市下早見、さいたま市浦和区高砂 | |
千葉県 | 多古町多古、一宮町一宮、千葉市中央区中央港、千葉市美浜区ひび野、成田国際空港、柏市旭町、浦安市日の出 | |
東京都 | 千代田区大手町、港区海岸、新宿区西新宿、墨田区横川、江東区青海、東京国際空港(羽田空港)、杉並区阿佐谷、江戸川区中央 | |
神奈川県 | 横浜市鶴見区大黒ふ頭、川崎市中原区小杉陣屋町 | |
新潟県 | 上越市中ノ俣、長岡市幸町、出雲崎町米田、五泉市村松乙、胎内市新和町、佐渡市相川金山・相川三町目 | |
富山県 | 富山市石坂・八尾町福島、立山町吉峰、南砺市天池 | |
石川県 | 輪島市舳倉島、小松市小馬出町、加賀市直下町 | |
福井県 | 福井市豊島 | |
長野県 | 長野市箱清水、軽井沢町追分、安曇野市穂高支所 | |
愛知県 | 名古屋市千種区日和町、愛西市稲葉町 | |
三重県 | 四日市市日永、鈴鹿市西条 | |
大阪府 | 関西国際空港 | |
兵庫県 | 西宮市宮前町 | |
和歌山県 | 紀の川市粉河 |
緊急地震速報
この地震においては16時10分10.0秒[注釈 29]の地震波の検知から6.0秒後の第1報で石川県能登地方で震度5弱から5強程度の揺れを観測すると予測され、緊急地震速報(警報)が発表された。検知から33.1秒後の第20報[注釈 30]と57.1秒後の第30報[注釈 30]においても警報が発表され、第30報においては警報の発表範囲は石川県、富山県、新潟県、長野県、福井県、岐阜県、福島県、群馬県、埼玉県、栃木県、茨城県、山形県、千葉県、兵庫県、滋賀県、愛知県、三重県、宮城県、奈良県の19県、最終第46報(検知248.5秒後)での予報の発表範囲はこれに東京都、京都府、大阪府、香川県、鳥取県、神奈川県、山梨県、秋田県、島根県、青森県、和歌山県、徳島県、高知県を加えた合計32都府県に拡大した[150]。震源から半径20 kmから30 km程度の範囲では緊急地震速報の発表が主要動の到達に間に合わなかったが、それでも揺れ始めて間もない段階で速報が届いているため揺れに対する心構えとしてはある程度役に立ったことが期待できると京都大学防災研究所の山田真澄は述べている[151]。なお、この地震の緊急地震速報の猶予時間は本震に先立つ16時10分9.5秒に発生した地震を起点として計算されている[150]。
前震・余震・誘発地震
2024年1月1日から6月3日にかけて発生した最大震度5弱以上の地震の一覧を以下に示す。本震以外の地震(前震・余震)の詳細は能登群発地震を参照。
発生日時 | 震央 | 震源の深さ | 地震の規模 | 最大震度 |
---|---|---|---|---|
2024年1月 | 1日16時06分石川県能登地方 | 12 km | M5.5 | 震度5強 |
2024年1月 | 1日16時10分石川県能登地方 | 16 km | M7.6 | 震度7 |
2024年1月 | 1日16時12分能登半島沖 | 9 km | M5.7 | 震度6弱 |
2024年1月 | 1日16時18分石川県能登地方 | 11 km | M6.1 | 震度5強 |
2024年1月 | 1日16時56分石川県能登地方 | 14 km | M5.8 | 震度5強 |
2024年1月 | 1日17時22分石川県能登地方 | 12 km | M4.9 | 震度5弱 |
2024年1月 | 1日18時03分能登半島沖 | 14 km | M5.5 | 震度5弱 |
2024年1月 | 1日18時08分能登半島沖 | 14 km | M5.8 | 震度5強 |
2024年1月 | 1日18時39分能登半島沖 | 6 km | M4.8 | 震度5弱 |
2024年1月 | 1日20時35分石川県能登地方 | 2 km | M4.5 | 震度5弱 |
2024年1月 | 2日10時17分石川県能登地方 | 10 km | M5.6 | 震度5弱 |
2024年1月 | 2日17時13分能登半島沖 | 6 km | M4.6 | 震度5強 |
2024年1月 | 3日 2時21分石川県能登地方 | 12 km | M4.9 | 震度5強 |
2024年1月 | 3日10時54分石川県能登地方 | 13 km | M5.6 | 震度5強 |
2024年1月 | 6日 5時26分石川県能登地方 | 12 km | M5.4 | 震度5強 |
2024年1月 | 6日23時20分能登半島沖 | 5 km | M4.3 | 震度6弱 |
2024年1月 | 9日17時59分佐渡付近 | 27 km | M6.1 | 震度5弱 |
2024年1月16日18時42分 | 石川県能登地方 | 3 km | M4.8 | 震度5弱 |
2024年6月 | 3日 6時31分石川県能登地方 | 14 km | M6.0 | 震度5強 |
このほか、2024年11月26日22時47分に本震の震源域の更に西側にあたる石川県西方沖を震源とするMj6.6の地震が発生し、気象庁は令和6年能登半島地震の一連の地震活動としているが[14]、東京大学地震研究所の佐竹健治は大きく見れば1月1日の地震の余震と考えられるものの震源が異なり更に西側の別の断層であるとし[15]、直接の余震ではない(誘発地震)ことを指摘している。
地殻変動
国土地理院による調査
衛星測位システム (GNSS)を用いた観測によると、この地震に伴い輪島観測点で西南西方向に1.2 mの変動、上下方向では1.1 mの隆起(いずれも暫定値、基準点は島根県浜田市三隅)が確認されるなど、大きな地殻変動が観測された。水平方向の地殻変動に関してはおおむね西成分が強かったが、珠洲市北部では北成分が強かった。また、「だいち2号」[注釈 31]による観測データの解析によると、輪島市西部で最大約4 mの隆起および約2 mの西方向への変動、珠洲市北部で最大約2 mの隆起および約3 mの西向きの変動(いずれも暫定値)が観測された[153]。約4 mの隆起は、関東地震(1923年、関東大震災を引き起こした地震)や熊本地震(2016年)で発生した約2 mの上下動と比べても大きなものであった。近代的な地震観測を開始した以降に地震により発生した垂直変位でこれより大きなものとしては、1891年10月28日の濃尾地震で断層のずれにより観測された最大で6 m前後の垂直変位が挙げられるのみであり[154]、各地に地震計が設置され地震学の観測情報を収集しやすくなった20世紀以降では最大の垂直変位であった[155]。遠田は日本列島でこのような隆起が発生するのは数百年に一度の頻度であり、前回にこの地震で発生したのと同等以上の隆起が日本国内で発生したのは断層のずれそのものに伴う垂直変位を除けば1703年の元禄関東地震において房総半島で発生した約6 mの隆起であったと述べている[156]。このような大規模な変動が発生したのは、すべり分布モデルの分析から、震央の北東側で最大10 m前後にも及ぶすべり量が発生したことが原因であると考えられている[57]。
国土地理院は1月5日から、大きな地殻変動に伴い地理座標や標高が大きく変化した群馬県・新潟県・富山県・石川県・長野県の電子基準点60か所、三角点4,349か所、水準点157か所の測量成果の公表を停止した。その後、2月に入って徐々に地震後の新たな測量結果が公表されるようになり、2月29日時点では石川県内の舳倉島、富来、能登島など11か所を除く全ての基準点で新たな測量結果が公表されている[157]。舳倉島でも南東に0.3 m程度の変動が起きた他、関東地方や中部地方の広範囲で北から北西向きの変動が観測されている[158]。その後の余効変動としては、1月2日の測定結果と2月22日から24日の測定結果を比較して水平方向では西から北西の方向に能都で2.6 cm、珠洲と入善で2.1 cm、穴水で2.0 cm、糸魚川で1.9 cm、輪島で1.8 cmの変動が、鉛直方向では輪島で4.0 cm、珠洲狼煙で3.7 cm、穴水で2.1 cmなどの地盤沈下と入善で1.6 cm、糸魚川で1.4 cm、富来で0.1 cmなどの隆起が観測されている[159]。このパターンは、能登半島北部の沈降と震源域南西部の一部における南東向きの水平変位を除いては本震によって発生したものとよく似ている。このような余効変動が起きたことについては、余効すべり分布モデルと粘性漢和モデルのどちらで計算しても実際に起きた現象をほぼ説明できるとの結果が得られている[57]。国土地理院地理地殻活動総括研究官の矢来博司は、3月8日の記者会見で沈降が起きた場所でもその大きさは地震による隆起と比べてはるかに小さい上今後沈降は収束していくと予測されるため、沈降が港湾などの復旧作業に影響を及ぼすことは考えられないとの認識を示している[160]。
能登半島西海岸で大きな隆起が発生した原因として、宍倉は地震による横ずれ運動に伴い断層が屈曲した部分に強い力が働いたことを指摘しており、海成段丘に記録されている過去の隆起も今回の地震と似たものであったことから、同一の活断層が何度も動いている可能性があると述べている[115]。この地殻変動自体は3000年分から4000年分の隆起に相当する大きさであった[161]。なお、このような地形の上下変動が地震に伴う海面変動に伴い生じている可能性については、本震翌日までに潮位が天文学的に計算された潮位から上下10 cm以内の水準に戻っていることにより排除される[162]。
東京大学地震研究所による調査
1月2日に東京大学地震研究所が行った現地調査でも輪島市西部沿岸で顕著な隆起が実測された。五十洲漁港で約4.1 m、鹿磯漁港では約3.9 mの隆起が推定されるなど、鹿磯漁港の南北約4 kmの範囲で3 m以上の隆起が確認されたほか、鹿磯漁港東の砂浜海岸では海岸線が海側に約250 m移動した。また、同調査では志賀町赤崎漁港で約0.25 mの隆起が推定された(速報値)[51]。地震の発生時に釣りを行っていた現地住民の証言によれば、この隆起は地震と同時に発生しており、隆起が著しかった港湾には津波は遡上しなかった[51]。輪島市の竜ヶ崎周辺にある塩水プールもすべて陸地となった[51]。
1月27日に東大地震研が行った調査では、珠洲市若山町の若山川流域において東西2 km、高さ2 mに及ぶ崖が確認されており、地震を引き起こした断層が地表に出現したものであると考えられている[51]。ただし遠田は、地上に出現した断層とされる断崖は表層地盤が地表を押し上げて隆起したものであり実際には断層ではないと主張している[106]。
日本地理学会による調査
日本地理学会が国土地理院およびアクセルスペースの航空写真・人工衛星写真をもとに、能登半島の沿岸全体の総延長約300 kmの海岸線に対して行った調査で、1月8日時点で石川県志賀町から珠洲市に至る能登半島北部の海岸線の合わせて90 kmの区間において、海岸線が沖に向かって前進したことが確認された。調査範囲内における陸化面積は約4.4 km2であり、前進量の最大値は輪島市門前町黒島町付近で240 mであった[163]。また、隆起が発生した場所の南端は東海岸では珠洲市狼煙町の禄剛崎から南に約5 kmの地点で、西海岸では輪島市門前町深見の猿山岬から南に約22 kmの地点であり、西海岸の方がより南方まで隆起した他、海岸段丘の分析から推定できる約13万年前の最終間氷期(エーミアン間氷期)と約1万年前の後氷期における地殻変動とも符合している。その一方で、穴水町には地震後に沈降が発生した可能性のある地点も見つかった[164]。能登島でもおよそ30 cmの地盤沈下が発生している他、穴水町中心部では2.6 cm、能登町宇出津地区では0.7 cmしか隆起していない。断層がずれた量の違いがあったために輪島市の中心部でも隆起の総量は少なく、今回の地震による隆起には「北西高、南東低」の傾向が明瞭である。遠田は、今回と同様な「北西高、南東低」の隆起を繰り返して、北西側に高地が多く南東側に低地が多い現在の能登半島の地形が形成されたと推定している[156]。
産経新聞社による分析によれば、輪島市で最も小さな地区であった黒島町の面積は地震前の0.88 km2から1.14 km2へと約30 %、東京ドーム5.5個分の増加となった[165]。なお、増えた陸地については民法239条2の「所有者のない不動産は、国庫に帰属する」との規定により、国有財産となる[166]。一方、2023年10月1日時点の国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調[167]によれば、石川県の面積は4186.20 km2、福井県の面積は4190.54 km2でその差は4.34 km2であり、石川県の面積が4.4 km2増加したという調査結果を受け入れれば、石川県の面積が福井県の面積をわずかに上回ったことになる[168]。しかし、海岸線は浸食を受けて地震前の状態に戻ろうとする作用が働く上、全国都道府県市区町村別面積調は満潮時の面積を基準に行うため、単純には比較できず[168]、地形図などの更新も安定するかを見極めてからの作業となる[166]。実際に地震で隆起した箇所の中にはマントルのような地下深くでの流動による影響で5 cm程度地盤が沈降している部分も確認されているが、全体で確認されているわけではないことから地震前の状態に戻ることは考えにくい[169]。
東北大学災害科学国際研究所による調査
東北⼤学災害科学国際研究所ではだいち2号による衛星データを用い、合成開口レーダー (SAR)の干渉を利用して調査を実施した[170]。干渉解析では地殻変動が非常に大きかったり、土砂崩れや液状化現象によって地盤が変化していたり、積雪があったりする地域では干渉が起こらずに地殻変動の解析が行えないものの、行えた範囲内では解析された地殻変動の大きさは国土地理院が発表したものと概ね一致し、能登半島北西部を中心に小規模な断層が地表に露出したと思われる箇所も確認された。
白鳳丸による調査
海洋研究開発機構 (JAMSTEC)は、学術研究船「白鳳丸」を利用し、大学などの研究機関とも連携して1月16日から1月26日[171]、2月19日から3月1日[172]、3月4日から3月16日[173]の3回にわたり、観測機器を設置するなどして地震を引き起こした断層、揺れや津波のメカニズムなどの研究に役立てるためにこの地震の震源域付近で調査航海を実施した。その結果、3月11日朝に輪島市の北西9 kmの沖合の水深約85 mの地点でこの地震に伴い動いた断層に起因するものであると考えられる海底の崖が2か所に発見されたほか、それまでの調査で能登半島北東部の沖合に幅1.2 kmほどの断層帯(複数の断層が集中したもの)が発見されている[174]。中央大学教授の有川太郎は能登半島北部でも海底地すべりが発生し、津波が発生した要因になった可能性があると指摘した[175]。また、海底調査の結果によりこの地震を引き起こした断層の真上に重なる猿山沖セグメント、珠洲沖セグメント自体にもそれぞれ4 m前後、3 m前後の隆起が確認されている[59]。調査に参加した東京大学大気海洋研究所の朴進午は、得られたデータの量は想定を超えるものであり、冬季に日本海での調査でこれだけの情報が得られたのは驚くべきことであったと述べている[176]。
温泉への影響
鳥取大学が行っている観測によれば、この地震により鳥取県内でも地盤の亀裂が拡大しそこに地下深くの熱水が流入したことから、鳥取県岩美町の岩井温泉で地震直後に水温が0.56 ℃上昇し、2000年に観測を開始して以降東北地方太平洋沖地震と熊本地震に次いで3番目に大きい上昇となった他、鳥取市の鳥取温泉でも水位が30 cm前後上昇した[177]。
津波
この地震は内陸性地震ではあったものの、1927年の北丹後地震などと同様に震源域が海側まで広がっていたために津波が発生した[178]。
日本
津波に関する情報
気象庁は16時12分、新潟県上中下越、佐渡島、富山県、石川県能登、石川県加賀の各津波予報区に津波警報を、北海道日本海沿岸南部、青森県日本海沿岸、秋田県、山形県、福井県、京都府、兵庫県北部、鳥取県、島根県出雲・石見、隠岐、山口県日本海沿岸の各津波予報区に津波注意報を、北海道太平洋沿岸中部、北海道太平洋沿岸西部、北海道日本海沿岸北部、オホーツク海沿岸、青森県太平洋沿岸、陸奥湾、福岡県日本海沿岸、佐賀県北部、長崎県西方、壱岐・対馬の津波予報区にも津波予報(若干の海面変動)をそれぞれ発表した[179]。その後16時22分、石川県能登に発表されていた津波警報が大津波警報に[180]、山形県、福井県、兵庫県北部に発表されていた津波注意報が津波警報に、北海道太平洋沿岸西部、北海道日本海沿岸北部、福岡県日本海沿岸、佐賀県北部、壱岐・対馬に発表されていた津波予報(若干の海面変動)が津波注意報にそれぞれ切り替えられた[181]。大津波警報[注釈 32]の発表は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災を引き起こした超巨大地震)以来であり[19][185]、1953年(昭和28年)の房総沖地震の際に初めて発令されて以来全国で通算6回目であった[186]。また大津波警報が気象業務法に基づく特別警報として位置づけられるようになった2013年8月30日以降では初の発令事例であり[187]、日本海側での大津波警報[注釈 32]の発令事例としては1983年の日本海中部地震、1993年の北海道南西沖地震に次ぐ3回目であった[188]。
その後、20時30分に石川県能登に出ていた大津波警報は津波警報に切り替えられた[189]。2日1時15分に津波警報は全て津波注意報に切り替えられた[190]。2日2時30分、福岡県日本海沿岸と佐賀県北部に発表されていた津波注意報が解除され、津波予報(若干の海面変動)に切り替えられた[191]。2日7時30分、山口県日本海沿岸と島根県の隠岐に発表されていた津波注意報は解除され、津波予報(若干の海面変動)に切り替えられた[192]。2日10時00分、それまで発表されていた全ての津波注意報が解除され、津波予報(若干の海面変動)に切り替えられた。ただし、津波注意報の解除後1日程度は海に入っての作業等に十分注意するよう呼びかけられた[193][194]。
津波警報が発表された兵庫県北部では委託事業者の設定ミスにより「ひょうご防災ネット」への登録者に対し本来送信されるべき津波警報の自動通知が送信されておらず、津波到達が予想された17時の2分前、16時58分になってようやく手動で津波警報の通知が送信される事態となった。兵庫県は委託事業者に対しマニュアルの改定などの対策を行うよう要求した[195]。また、秋田県にかほ市では津波注意報の発表を受けて沿岸部に避難指示を発令したにもかかわらず、2021年に情報自体が廃止となっている「避難勧告」を発令したと防災行政無線で誤って放送した誤報事件があった[196]。この他、津波注意報が発令されたものの津波警報は発令されなかった鳥取県や島根県では、迅速な情報伝達の観点から全国瞬時警報システム(Jアラート)で受けた情報と連動してサイレンを流した自治体と、防潮堤で防げる程度の高さしか予測されていない津波注意報を津波警報と区別すれば不安を煽らずに済む[注釈 33]ためにサイレンは流さず手動での放送や戸別受信機での告知に留めた自治体の両方があるなど対応が分かれた。このため、近隣の自治体との対応の検討が必要との意見が出た[199]。
気象庁により観測された津波
映像外部リンク | |
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津波のシミュレーション映像 | |
東北大学災害科学国際研究所によるシミュレーション映像 - リンク先の「Simulation of the 2024 Noto Earthquake and Tsunami」をクリックすると映像が再生される。 |
気象庁の観測によると、石川県の金沢で80 cm、山形県の酒田で0.8 mの津波が観測された[注釈 7][11]。当初の発表では、石川県輪島市の輪島港で最大1.2 m以上の津波が観測された[200]とされていたが、その後、記録された波形が津波を示すものではなく、機器の故障または隆起を原因とするものである[201]可能性があるとして、欠測扱いとなった[202][11]。輪島港観測点では、16時21分の1.2 mの観測以降入電がなく、珠洲市にある津波観測計のデータも、地震以降入らなくなった[203]。その後、珠洲市の珠洲市長橋観測点では、地震後の国土地理院による空中写真により、観測地点の周辺一帯で地盤隆起によるとみられる海底の露出が確認され、観測が不可能な状態であると判明した[204]。気象庁と国土交通省港湾局は、輪島港に代替観測点を設置し、8日正午から津波観測を再開した[205]。気象庁長官の森は、どのような場合でも故障しない観測設備は有り得ないが、津波の観測施設は一つの津波予報区に最低1か所は設置されている上、一部の観測施設で観測が行えなくなった場合でも周囲の稼働している観測施設から得た情報を元に判断が行えることから、この地震において一部の潮位計が使用できない状態になったことが津波警報から津波注意報への切り替えないし津波注意報の解除に影響を与えたことは考えられないとの見解を示している[129]。その一方で東京大学教授の佐竹健治は、このような状況で不十分な情報を元に津波警報を解除するのは危険であると指摘している[206]。
警報・注意報・予報 | 津波予報区の名称 | 予想高さ | 観測点 | 最大津波高さを観測した時刻 | 最大津波高さ |
---|---|---|---|---|---|
大津波警報 | 石川県能登 | 5 m | 七尾港 | 1日18時59分 | 54 cm |
津波警報 | 山形県 | 3 m | 飛島 | 1日17時52分 | 35 cm (35.5 cm) |
酒田 | 1日19時08分 | 0.8 m[注釈 7] | |||
新潟県上中下越 | 新潟 | 1日17時09分 | 31 cm | ||
柏崎市鯨波 | 1日16時36分 | 37 cm (40.2 cm) | |||
粟島 | 1日19時07分 | 32 cm | |||
佐渡 | 佐渡市鷲崎 | 1日21時15分(19時21分) | 33 cm (32 cm) | ||
富山県 | 富山 | 1日16時35分 | 79 cm (79.4 cm) | ||
石川県加賀 | 金沢 | 1日19時09分 | 80 cm | ||
福井県 | 敦賀港 | 1日20時28分 | 57 cm | ||
三国 | (1日19時27分) | (31.5 cm) | |||
兵庫県北部 | 豊岡市津居山 | 1日19時20分 | 35 cm | ||
津波注意報 | 北海道日本海沿岸北部 | 1 m | 稚内 | 2日 | 9時27分14 cm |
留萌 | 2日 | 7時19分25 cm | |||
石狩湾新港 | 2日 | 1時35分35 cm | |||
利尻島沓形港 | 1日23時45分 | 23 cm | |||
小樽市忍路 | 2日 | 8時36分14 cm | |||
小樽 | 2日 | 3時17分16 cm | |||
北海道日本海沿岸南部 | 江差 | 1日19時45分 | 31 cm | ||
瀬棚港 | 1日18時26分 | 54 cm | |||
岩内港 | 2日 | 0時26分49 cm | |||
奥尻島奥尻港 | 1日18時07分 | 54 cm | |||
奥尻島松江 | 1日18時01分 | 12 cm | |||
北海道太平洋沿岸西部 | 函館 | 2日 | 8時47分17 cm | ||
青森県日本海沿岸 | 竜飛 | 1日22時03分 | 9 cm | ||
深浦 | 1日18時04分 | 36 cm (33.9 cm) | |||
秋田県 | 秋田 | 1日23時36分 | 36 cm | ||
男鹿 | (1日18時45分) | (27.4 cm) | |||
京都府 | 舞鶴 | 2日 | 0時43分46 cm | ||
鳥取県 | 岩美町田後 | 1日19時18分 | 20 cm | ||
境港市境 | 1日22時30分 | 60 cm | |||
島根県出雲・石見 | 浜田 | 1日21時46分 | 25 cm | ||
隠岐 | 隠岐西郷 | 1日17時50分 | 29 cm (27.1 cm) | ||
山口県日本海沿岸 | 下関市南風泊港 | 1日23時24分 | 6 cm | ||
福岡県日本海沿岸 | 北九州港日明 | 1日23時36分 | 8 cm | ||
佐賀県北部 | 唐津港 | 2日 | 6時55分13 cm | ||
玄海町仮屋 | 2日 | 6時23分20 cm | |||
壱岐・対馬 | 対馬比田勝 | 2日 | 0時01分32 cm | ||
対馬市厳原 | 1日22時49分 | 9 cm | |||
壱岐島郷ノ浦港 | 2日 | 6時15分16 cm | |||
津波予報 (若干の海面変動) | オホーツク海沿岸 | 20 cm未満 | 枝幸港 | 2日 | 0時20分11 cm |
紋別港 | 2日 | 3時45分11 cm | |||
北海道太平洋沿岸中部 | 津波の観測なし | ||||
陸奥湾 | 青森 | 1日22時44分 | 10 cm | ||
青森県太平洋沿岸 | 津波の観測なし | ||||
長崎県西方 | 平戸市田平港 | 2日 | 1時05分7 cm | ||
津波情報未発表 (津波が観測された津波予報区のみ表示) | 山口県瀬戸内海沿岸 | なし | 下関市彦島弟子侍 | 2日 | 1時25分9 cm |
下関港長府 | 1日22時56分 | 4 cm | |||
福岡県瀬戸内海沿岸 | 苅田港 | 2日 | 0時36分5 cm | ||
北九州港青浜 | 2日 | 4時26分4 cm | |||
北九州港門司 | 2日 | 2時05分10 cm |
津波の現地調査・写真調査
気象庁機動調査班(JMA-MOT)による現地調査結果によると、津波が斜面を駆け上がった高さ(遡上高)は、新潟県上越市船見公園で5.8 mあった[注釈 8]。また建物に残された津波の痕跡(痕跡高)は石川県能登町白丸で4.7 mが確認された。なお、地震発生後に欠測となった輪島港および珠洲市長橋の観測点付近では、津波による浸水の痕跡は認められなかった[209]。また東京大学地震研究所の現地調査によると、志賀町の赤崎漁港から安部屋漁港にかけて津波の痕跡が確認され、このうち赤崎漁港では遡上高がおよそ4.2 mまで達していたことが推定された[51][210]。能登半島に過去400年の間に押し寄せた最大級の津波は1833年の庄内沖地震で押し寄せた高さ5 m台の津波であり、2024年の地震による能登半島での津波は庄内沖地震以来の高さであると推定されている[139]。
国土地理院が撮影した空中写真の日本地理学会による判読結果によると、津波による浸水範囲は約190 haに及んでいた[211]。この浸水範囲は、事前に石川県が公表していた津波の浸水想定の範囲内にほぼ収まった[212]。特に能登半島の東側にあたる珠洲市南部から能登町東部で家屋の流失・損壊が起きるなど内陸への浸水が集中し、輪島市舳倉島南部や志賀町の一部、能登町南部、穴水町、七尾市能登島でも浸水が見られた[211]。陸上で津波が到達した標高は、輪島市の舳倉島や志賀町の赤崎漁港で5mを超えたとみられる[211]。能登町白丸や珠洲市宝立町鵜飼では、住宅の流失や損壊が見られた[213][214]。珠洲市では飯田海脚の効果により能登半島の西方から回り込んで来た津波が大きな被害をもたらした[注釈 35]ことが分かっている[187]。増田らによるコンピュータシミュレーションの結果でこのような状況を再現できているのはケース2のみである[207]。富山湾では沿岸で津波が何度も反射してエネルギーを増幅させており、志賀町や金沢市方面へは第1波として能登半島西方の震源域からの津波が到達した後に第2波として能登半島東方から回り込んで来た津波が到達したことが分かっている[187]。この地震による津波で第1波が最も高かった観測点は柏崎のみであった。一方、佐渡島では津波が水深の深い富山トラフを通って行ったため、津波が震源に近い飯田港より速く到達した[207]。この地震による津波の特徴として、地震発生から短時間で津波が到達したことの他に、津波の屈折のために[139]高さが最大となった津波が第1波から遅れたこと、長時間継続したこと、事前にF43で予測されていた津波ほどの高さにはならなかったことも挙げられる[215]。京都大学防災研究所では、珠洲市の寺家・粟津地区、飯田地区、鵜飼地区、春日野地区で津波による大きな被害が発生し、特に鵜飼地区、春日野地区では地区全体が浸水して浸水が長時間継続したと考えられるほか、粟津地区では浸水時間は比較的短かかったものの複数の波の痕跡が見られたとしている。また、能登町の布浦地区・松波地区でも津波による小規模な被害があったと分析している。輪島市門前町では赤崎地区から西浦地区にかけて津波による小規模な被害が見られたほか、琴ヶ浜にも津波の痕跡が確認されたものの、津波により大きな被害を受けた地域はなかったと結論付けている。赤崎地区や西浦地区で津波の遡上高が高かったにもかかわらず津波による被害が少なかった理由に関しては、家屋が比較的標高の高い場所に建てられていたことが指摘されている[216]。
一方、能登半島の北岸では津波による浸水が認められなかった。津波は地震が発生してから1分後に沿岸に到達したものの、隆起は断層のずれと同時に発生したため、地震発生から40秒以内、つまり津波が到達する前に隆起は終了していた[217]。このため、隆起によって新たに陸地となった場所が自然の防波堤のような役割を果たし浸水が起きなかった可能性がある[211]。それ以外の多くの観測点で津波の高さが予想より低くなった理由としては、当初能登半島直下の断層ではなく海底の活断層が動いたと考えられていたために海底の地殻変動が過大に見積もられていたためであるとの見方も示されている[218]。気象庁長官の森は、このような地盤の隆起による陸地への津波の到達に対する影響を地震発生直後に速やかに予測したり把握したりし、その結果に基づいて津波に関する情報の発表の仕方を変えるようなことは2024年時点の技術では極めて難しいと述べており、津波警報が発表された場合は直ちに避難することが重要であるとの見解を示している[129]。当然ながら、七尾市や穴水町のように地震により地盤の沈降が見られた地域では(七尾湾の複雑な地形により津波が弱まることを考慮しても)地殻変動により津波の危険性は上昇していたことに留意すべきである[212]。京都大学防災研究所による分析では隆起したため津波の痕跡は見られたものの津波による被害はなかった場所として、珠洲市の蛸島・鉢ヶ崎・川浦・折戸・木ノ浦の各地区、隆起により津波の痕跡自体が見られなかった地域として輪島市門前町の琴ヶ浜より北の地域、同町の西海地区、それに志賀町を挙げている[216]。
新潟県上越市の関川河口付近では付近の水深が浅いことと岬で津波が反射したことが重なったために津波が局所的に高くなり、関川と支流の保倉川が合流する付近で川沿いの住宅15棟が浸水した[208]。津波は関川を逆流し、河口から5km付近まで押し寄せたとみられる[219]。一方、新潟県内では柏崎市、佐渡市、新潟市、粟島浦村の4か所にしか気象庁の観測情報で発表される津波の観測所がなく、その中で今回の地震により観測された最大の津波の高さは柏崎市での37 cmであり、現地調査で推定された県内での最高の津波の高さである5.8 mと比べると10分の1にも満たなかったことから、同県の知事である花角英世は津波の観測計の増設を気象庁に対し必要に応じて要望する方針である[220]。
都道府県 | 調査地点 | 津波の高さ(推定) | 種類 |
---|---|---|---|
新潟県 | 上越市柿崎漁港 | 2.9 m | 遡上高 |
上越市船見公園 | 5.8 m | 遡上高 | |
上越市直江津海水浴場 | 4.5 m | 遡上高 | |
佐渡市羽茂港 | 3.8 m | 痕跡高 | |
佐渡市小木港 | 1.9 m | 痕跡高 | |
富山県 | 朝日町宮崎漁港 | 1.4 m | 痕跡高 |
射水市海竜新町 | 1.5 m | 遡上高 | |
石川県 | 珠洲市飯田港 | 4.3 m | 痕跡高 |
珠洲市鵜飼漁港 | 2.7 m | 痕跡高 | |
珠洲市見附公園 | 2.9 m | 痕跡高 | |
能登町恋路海岸 | 1.7 m | 遡上高 | |
能登町松波漁港 | 3.1 m | 痕跡高 | |
能登町内浦総合運動公園 | 4.0 m | 痕跡高 | |
能登町白丸 | 4.7 m | 痕跡高 | |
能登町九十九湾 | 2.2 m | 痕跡高 | |
能登町宇出津港 | 1.3 m | 痕跡高 | |
七尾市鵜浦漁港 | 1.8 m | 痕跡高 | |
七尾市下佐々波漁港 | 2.2 m | 遡上高 | |
輪島市舳倉島漁港 | 2.9 m | 痕跡高 |
津波に関するコンピュータシミュレーション
この地震による津波について行われた増田らによるコンピュータシミュレーションでは、F43だけが動きMw7.57の地震が発生したと想定したケース1、F43とF42が一斉に動いてMw7.66の地震が発生したと想定したケース2、国土地理院による調査結果を元にMw7.49の地震が発生したと想定したケース3の3通りのケースについて計算が行われた。F43を中心にF42も加わって津波が発生したと考えると佐渡島や新潟県上越地方での観測結果と整合性が見られた。その一方で、シミュレーションの結果では柏崎における津波の高さは最も低いケース3でも89.4 cm、最も高いケース2では227.1 cmに達していることから、柏崎で観測された津波の高さはいずれの観測値を元にしたコンピュータシミュレーションから考えても低すぎると指摘されている。また、シミュレーションにおいて津波が到達したと計算された時刻は、実際に津波の第1波が観測された時刻よりほとんどの観測地点で1分から4分早かった[207]。
津波堆積物
2024年1月22日に金沢大学のロバート・ジェンキンズらの研究グループが珠洲市と九十九湾の沖合でスクーバダイビングによって海底の堆積物のコアを調査した結果では、調査を行った5か所全てでこの地震による堆積物が確認されており、その厚さは珠洲市の水深約7.5 mの地点で約1 cmに達した。堆積物の一番上の層は粘土質の泥であったが、九十九湾では最大で直径50 cmにもなる岩が見られた他、周囲からの比高が約1 mになる砂堆が形成されていた。これは堆積物が運搬され再び堆積したものであると考えられる。また、珠洲市の沖合では堆積物の一番上の層が赤褐色になっており、これは地震発生から調査前までに陸地で土砂崩れが発生した場所から流出した泥であると考えられている[221]。2月の調査ではこの赤褐色の層は波による浸食により若干薄くなっているのが確認されたが、元に戻ることは当面見込めないと判断された[222]。
気象庁以外における津波の観測
北陸電力は2日夜、志賀原発内の機器の冷却に使う海水を取り込む取水口付近に設置した水位計において、1日17時45分から18時までの間におよそ3 mの水位の上昇を観測していたことを発表した[223]。ただし、水位計は海面ではなく敷地内に取り込んだ海水の水槽の水位を計測しているため、上昇した水位値が直接津波の高さに対応するものではない[224]。そのため、このデータを使って原発西側の海の水位変動を解析した結果、地震発生から約1時間半後に約3 mの津波が到達していたことが分かったと9日、発表した[225]。
津波の到達時間
今村文彦らによる分析によれば、珠洲市には地震発生から1分以内に津波が到達していたと推測される[226]。地震発生当時、珠洲市役所近くにいた北國新聞珠洲支局記者の谷屋洸陽によれば、揺れが少し収まってきたころには海から瞬く間に波が近づいてきており、後に海岸から約100 m地点まで津波が押し寄せてきたという[227]。
富山市の検潮所では、地震発生3分後の16時13分に津波が到達しており、地震を起こした断層からの津波としての予想より早く到達している[228]。富山に最初に到達した津波は47.5 cmの引き波であり、最初に引き波が観測された地点は富山が唯一であった[207]。今村文彦らの研究グループは、地震の揺れによって富山湾で海底地滑りが発生し、富山湾での津波を引き起こした可能性があると指摘している[228]。2010年と2024年に調査した海底地形の比較では、富山市の沖合約4 kmで海底の斜面が高さ40 m前後、幅80 m前後、長さ500 m前後の規模で崩れていることが確認され、この津波に関係した可能性がある[229]。同じような海底地滑りは2月2日から2月8日にかけて海上保安庁が行った調査で能登半島の東方約30 kmの沖合でも深さ約50 m、幅約1.1 km、全長約1.6 kmにわたって発見されており、2023年5月に同じ場所を調査した際には地滑りはなかったことからこの地震で発生し、津波をもたらしたと推定されている[230]。さらに2月27日から28日にかけての海上保安庁の調査では南北3.5 km前後、東西1 km前後、深さ40 m前後にわたる斜面崩落が確認されている[231]。
このように地震が発生してから非常に短い時間で到達する津波は「即時津波」と呼ばれ、日本海側で発生した地震では日本海中部地震の地震発生から8分、北海道南西沖地震の地震発生から最短3分などの例があったが、この地震による津波はそれらよりさらに短い時間で津波が到達したことになる。ただし、能登半島地震の場合、陸を駆け上がったり、防潮堤を超えたりするほどの高さの津波となったのは地震発生から約20分後であったことから、避難への時間的余裕はあったと考えられている[232][233]。また、東北地方太平洋沖地震による津波と比べると波の周期は短かったため、最初に海岸に達した際の砂浜の侵食は著しかったものの、それによって津波のエネルギーはある程度奪われて陸地に入っていたことが、東北地方太平洋沖地震の際とは異なり津波によって破壊される家屋が比較的少なかったことの原因であったと考えられる[234]。
なお、国土交通省の閉回路テレビによる調査からは、津波のパワースペクトル密度関数 (PSD)富山県入善町横山と同県南砺市田中ではいずれも16時10分から16時25分にかけて4回のピークを示しており、富山県北東部において共通する津波のパワースペクトルを示している可能性がある。横山では16時16分33秒に、田中では16時17分23秒に最高のピークを迎えているほか、いずれも16時24分45秒にもピークがあり、他の地点とは異なる傾向を示している。同県黒部市越湖では16時14分32秒と16時19分50秒の2回、富山市では16時14分55秒の1回ピークを迎えている。越湖や富山市下飯野では地震の前からノイズが確認されていることから、明確に津波によるものを分離するのは難しい可能性がある[235]。
津波からの避難
NTTDocomoによるモバイル空間統計の結果では、珠洲市・輪島市・能登町・穴水町の全てで地震発生後の17時台には地震発生前の15時台に比べて内陸部では滞在人口が多く、沿岸部では滞在人口が少なくなった。中でも津波による浸水が想定されていた地域では人口が少なくなる傾向が顕著であり、浸水の深さが1 m以上に達すると想定されていた地域ではこの傾向はさらに顕著であった[236]。標高が10 m以下の地域の滞在人口は地震直後に急激に減少し標高10 m以上の地域の滞在人口は急激に増加したことから、大津波警報に高台への避難を促す効果があったことが示唆されたが、地震に伴う基地局の被害の影響も含まれていることが否定できず、注意が必要である。また、1月3日以降は大津波警報・津波警報・津波注意報の解除に伴う帰宅や低地の避難所への移動を示唆するデータもある[237]。
さらに、ソフトバンクによる同様の統計の結果からは、本震が発生した5分後にはすでに珠洲市の飯田地区、直地区などで避難場所となっている石川県立飯田高等学校、珠洲市立飯田小学校、珠洲市立緑丘中学校などの高台への人流が活発になっており、声掛けなどを通じて迅速に避難した者が多かったと考えられている[238]。避難にかかった時間は東北地方太平洋沖地震時のおよそ半分であり、自治体別では、本震の直後に浸水が想定される区域内に滞在していた合計104人のうち、本震から6分後には珠洲市で、本震から7分後には能登町で避難を開始した者の割合が50 %を超えており、その割合は本震から10分後に能登町で、本震から11分後には能登町で80 %を超えた他、避難者の所在地の標高の平均値は珠洲市では本震20分後に21 m、能登町では本震5分後に17 mとなった[239]。大津波警報の発表は本震から12分後であったので、それより前に大半の者は避難を開始していたことを意味する。
また、2023年に日本海中部地震から40周年、北海道南西沖地震から30周年を迎えたのに合わせた啓発活動が広く行われており[232]、2022年、2023年の地震を受けて防災意識が高まっていたことも避難に繋がったと指摘されている[240]。中には、16時6分の前震の時点で津波の危険性を察知し、高台への避難を開始していた住民もいた[139]。津波の現地調査を行った有田守准は、東北地方太平洋沖地震の後に行った聞き取り調査の際には多くの人が津波の襲来時刻や津波の高さを答えていた(つまり、津波を見ていた)のに対し、この地震の際には津波を見ていないためにいつ津波が襲来したのか分からないと答えた者が多かったことからも、迅速に避難した人が多かったことが窺えると述べている[238]。珠洲市狼煙地区では、住民全員の生年月日、電話番号、支援の要否などを記した名簿が作成されていたため、避難後に不在の住民をすぐに確認して救助に向かうことができ、100歳以上の3人を含め住民の6割が高齢者であったにも関わらず全員が無事であった[241]。地震が発生した時期は刺し網漁の行われない期間であり海に出ている人が少なかったことが幸いしたという意見もある[233]。
一方で、多くの自治体では津波からの避難を原則徒歩で行うという方針が定められているのにもかかわらず、地震後には避難する人の自動車で渋滞が発生した他、その中には本来避難の必要がない地域の住民まで含まれていたり、すでに十分な標高があるにもかかわらずより高い場所を目指して自動車が列を成す光景が見られたりした[242]。新潟市西区の新潟西バイパスでは高台に避難して路肩に自動車を停車させた者が相次ぎ、一時280台近くが停車する事態となった[243]。また、特定の避難場所に自動車集中したために渋滞に繋がったと考えられる事例もあり、ハザードマップの周知徹底が課題とされた[244]。アンケート調査の結果によれば、富山県の氷見市・高岡市・射水市・富山市のそれぞれ沿岸沿いに住んでいた回答者合計91人の6割が避難に自動車を利用したと回答しており、その理由として歩くのが困難な人を連れていたこと、近くに高台がなかったこと、車での移動に慣れていることなどが挙げられた[245]。それ以外にも、新潟県上越市港町一丁目と二丁目に暮らす260世帯で回答のあった160世帯のうち、7割が津波からの避難に自動車を利用したと回答しており、地元の町内会はその理由について普段から多くの人が自動車で移動しているためであると指摘した[246]。珠洲市と能登町では位置情報データによる移動速度の分析から4割ないし5割程度が避難に自動車を利用したものと推定されている[239]。自動車で避難を行った理由として、日本海中部地震以来の津波警報の発表となった山形県では気温が低かったことも理由として挙げられている[247]。山形県内では高台に避難したものの寒さに耐えかねて津波警報が解除される前に帰宅してしまう人もいたことから、カイロや毛布を非常用の持ち出し袋の中に入れておくことや、避難場所でも寒さ対策を行うことが重要と指摘された[248]。この他、帰省客など普段そこに暮らしているわけではない人にとって避難場所が分かりにくかったことが課題として挙げられている[249]。能登半島では毎年秋に津波警報が発表されたという想定での避難訓練が実施されていたものの、倒壊した家屋が邪魔になって訓練で通った道を通ることができず、迂回しなければならない事態も発生し、中には避難路を探している最中に津波に巻き込まれ死亡した者もいた。日本国内で津波による犠牲者が出たのは東日本大震災以来であった[240]。ただし、道路が塞がれており避難場所に避難することが難しくても、自宅の2階にあるベランダに垂直避難を行ったことにより助かった人もいた[236]。
一方で、避難しても避難所が施錠されており中に入れないケースも相次いだ。新潟市と上越市では各7か所、富山市では8か所の避難所では中に入るために避難者によって窓ガラスが割られた。具体的な事例としては、避難者が並んでおり開錠すると避難者が将棋倒しになると判断したため直ちに避難所を開けるという市のガイドラインに反して避難所が開けられなかった事例[250]、逆に非常階段の3階付近に人が殺到したことにより将棋倒しになる可能性があると判断されたためやむを得ず窓を割った事例[251]、鍵を持っていた住民がパニックになったために窓を開けられず窓を割って入らざるを得なかった事例[252]などが確認されている。非常時であり窓を割って中に入ったことはやむを得ない対応であったという見解を示した自治体もあったものの、窓ガラスを割る行為は怪我に繋がる危険性もある上、避難所の管理者とトラブルになる事例もあったことから、割らなくても避難所に入れるよう揺れを感知した場合は自動的に窓を開けられるようなシステムを整備する必要があるという見解も示された[251]。
今村文彦は、浸水範囲の狭さを勘案すればすぐに指定緊急避難場所に向かえば津波から逃げ切れたと考えられるものの、逃げようとしても地震の揺れにより建物が倒壊していたため自宅から脱出できずに逃げ遅れた人がいた可能性を指摘している[212]。実際に珠洲市宝立町には津波避難タワーなどがなく、津波が迫る中、自宅の下敷きになり逃げたくても逃げられない被災者の救助活動に難航した事例も確認されている[253]。東日本大震災の伝承に取り組む宮城県石巻市の団体は、能登半島地震による津波で避難した者から「裸足で避難した」などの証言を集め、両地震を比較する形で石巻市で展示を行った[254]。
日本国外
日本海は閉じた海であるため、津波は発生から24時間程度の間に日本列島と大陸の間を片道2時間前後、往復4時間前後で6往復行き来し、津波が長時間続くことに繋がったと考えられる[206]。
- アメリカ合衆国
- 日本時間の16時21分、アメリカ海洋大気庁 (NOAA)の太平洋津波警報センター (PTWC)は日本国内の震源から300 km以内に危険な津波が押し寄せる可能性があるとして津波予報を発表し、16時50分に新潟市に津波が押し寄せると予想した[255]。一方、アメリカ合衆国西海岸(ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州)・アラスカ州・カナダのブリティッシュコロンビア州[256]、アメリカ合衆国ハワイ州[257]、北マリアナ諸島・グアム[258]、アメリカ領サモア[259]に対しては津波の危険はないとの情報を発表した。16時56分には北朝鮮・日本・ロシアの沿岸に0.3 mから1 m、韓国の沿岸に0.3 m未満の津波が押し寄せる可能性があるとの予報を発表している[260]。20時7分には大きな津波の危機は去ったが、向こう数時間は最大で30 cm程度の海面変動の可能性があるとの情報を発表した[261]。
- 大韓民国
- 大韓民国(韓国)の気象庁は地震発生を受け、日本海に面する東海岸(江原特別自治道江陵・慶尚北道浦項など)で、20 - 30 cm程度の海面変動があり得るとして注意を呼び掛けた[262]。16時23分(韓国標準時)に国外地震情報、16時35分に地震津波情報が発表され、20時35分(韓国標準時)に江原特別自治道東海市墨湖で85 cmの津波を観測したほか、慶尚北道蔚珍郡厚浦で66 cm、江原道では束草市で45 cm、三陟市臨院で33 cm、江陵市南項津で28 cmの津波を観測した。当時韓国では日本海上に風浪特報も発表されており、地震による津波と通常の高波が相まってより高い波になる恐れがあると発表された[12][263]。韓国での津波の観測は、1993年7月の北海道南西沖地震以来31年ぶり[264]で、津波注意報が発表されたのは2005年の福岡県西方沖地震以来であった(このときは津波は観測されなかった)[265]。
- 朝鮮民主主義人民共和国
- 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は地震を受けて咸鏡北道に地震津波特級警報、咸鏡南道、江原道、羅先特別市に地震津波中級警報を発令した。聯合ニュースによると、咸鏡北道清津市で2.08 m、咸鏡北道鏡城郡で1.84 m、羅先特別市で1.76 mの津波が予想されるとの報道が行われた[266]。
- ロシア
- ロシアは極東の都市に津波警報を発令した[267]。ロシア非常事態省は「対応チームは津波の起こりうる結果に対処する準備ができている」と述べた[268]。タス通信によると、沿海地方ラゾフスキー地区プレオブラジェニエ付近で最大63 cmの津波を観測したほか、サハリン州(樺太)ホルムスキー地区ホルムスク[注釈 36]で18 cmの津波を観測した[269][270]。また、NOAAの国立環境情報センターによれば、この他に沿海地方のルドナヤプリスタニで38 cm、同じく沿海地方のソスノヴォ[注釈 37]で13 cmの津波が観測された[271]。一方で、沿海地方ウラジオストク市は「津波は観測されなかった」と発表。沿海地方ナホトカ市も「津波はほぼ気付かれないまま終わった」とした[272]。この他、政府間海洋学委員会のデータによれば沿海地方のポシェトでも津波が記録されている[215]。
- 中華人民共和国
- 中華人民共和国自然資源部は同国の沿岸に津波の影響はないと発表した[273]。
- 中華民国(台湾)
- 中央気象署は台湾の沿岸に津波は襲来しないと発表した[274]。
地震前駆現象・宏観異常現象
京都大学大学院情報学研究科の梅野健による研究によれば、本震2時間40分前の13時30分ごろから能登半島沖上空の電離層に線形のスロープが見られるなどの異常が確認されており、さらに本震1時間40分前の14時30分ごろからは能登半島沖上空の電離層に歪曲した層が二重に連なって出現するなどの異常が見つかっている。これらの現象は電子が高い場所から低い場所に移動していることを示しており、2011年の東北地方太平洋沖地震や2023年の奥能登地震の直前にも同様の現象が発生していると梅野は指摘している[275]。当日には太陽フレアも発生していたが、太陽フレアでは日本全国の上空で同様の異常が発生したため、明確に異なる現象であると梅野は主張している[276]。梅野は2月14日の段階でこの現象は能登半島地震の前兆であったと結論付けているが、詳細な機構の解明に関しては今後行われる予定である。梅野はこの現象を活用して電離圏の異常があった際に警報を発出するシステムの運用も目指しており[277]、電離層の異常に関するデータを3回にわたって公開している[278]。3月9日には日本地震予知学会が「能登半島地震に関するデータ検討会」において、梅野も出席してこの地震の関係する電離層の異常や宏観異常現象について議論が行われた[279]。
武蔵野学院大学特任教授の島村英紀は、2023年後半から相次いでいた石川県沿岸でのスルメイカの漁獲量の激減、全国各地でのイワシの大量死、イルカの座礁などはいずれもこの地震の前兆として起きた地電流や地磁気が海洋動物に影響を与えたものであり、この地震に伴う宏観異常現象であったと主張している他、硫黄島沖での海底火山噴火の活発化、クマによる人的な被害の増加もこの地震の前兆と関係があった可能性があると主張している。また、この地震の前々日から当日にかけて中部地方各地で通常は見かけられないような鳥の大群の移動も確認されている[280]。
被害
映像外部リンク | |
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国土交通省 水管理・国土保全局による被害状況の空撮動画 | |
被害状況の映像をプロットした地図(テレビ朝日) | |
地震発生時に珠洲市を走行していた車のドライブレコーダーによる映像(ANNnewsCH) |
防災ガイドの和田隆昌は、この地震は津波、火災、土砂災害など、過去に阪神・淡路大震災や東日本大震災などで発生してきた現象による被害が狭い地域で一度に発生した「特異な地震災害」であったと評している[281]。
府県別の被害状況
都道府県 | 人的被害 (人) | 住家被害 (棟) | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
死者 (うち関連死) | 行方不明者 | 負傷者 | 合計 | 全壊 | 半壊 | 床上 浸水 | 床下 浸水 | 一部 破損 | 合計 | ||||
重傷 | 軽傷 | 小計 | |||||||||||
新潟県 | 4 (4) | 11 | 44 | 55 | 59 | 109 | 4,011 | 14 | 19,147 | 23,821 | |||
富山県 | 2 (2) | 14 | 42 | 56 | 58 | 259 | 803 | 21,189 | 22,251 | ||||
石川県 | 456 (229) | 3 | 343 | 876 | 1,219 | 1,678 | 6,069 | 18,260 | 6 | 5 | 68,969 | 93,309 | |
福井県 | 6 | 6 | 6 | 12 | 815 | 827 | |||||||
長野県 | 20 | 20 | |||||||||||
岐阜県 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | ||||||||
愛知県 | 1 | 1 | 1 | ||||||||||
大阪府 | 5 | 5 | 5 | ||||||||||
兵庫県 | 2 | 2 | 2 | ||||||||||
合計 | 462 (235) | 3 | 368 | 977 | 1,345 | 1,810 | 6,437 | 23,086 | 6 | 19 | 110,412 | 139,690 |
- 本表は6月3日の余震による被害を含む。
- 富山県の公表資料における未分類の住家被害は本表に反映していない。
石川県市町別の被害状況
市町 | 人的被害 (人) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
死者 (うち関連死) | 行方不明者 | 負傷者 | 合計 | |||
重傷 | 軽傷 | 小計 | ||||
金沢市 | 9 | 9 | 9 | |||
七尾市 | 35 (30) | 3 | 3 | 38 | ||
小松市 | 1 (1) | 1 | 1 | 2 | 3 | |
輪島市 | 173 (73) | 3 | 213 | 303 | 516 | 692 |
珠洲市 | 137 (40) | 47 | 202 | 249 | 386 | |
加賀市 | ||||||
羽咋市 | 3 (2) | 7 | 7 | 10 | ||
かほく市 | ||||||
白山市 | 1 (1) | 2 | 2 | 3 | ||
能美市 | 1 | 1 | 1 | |||
野々市市 | 1 | 1 | 1 | |||
川北町 | ||||||
津幡町 | 2 | 2 | 2 | |||
内灘町 | 4 (4) | 6 | 6 | 10 | ||
志賀町 | 17 (15) | 7 | 97 | 104 | 121 | |
宝達志水町 | ||||||
中能登町 | 1 (1) | 5 | 1 | 6 | 7 | |
穴水町 | 38 (18) | 33 | 225 | 258 | 296 | |
能登町 | 46 (44) | 28 | 25 | 53 | 99 | |
合計 | 456 (229) | 3 | 343 | 876 | 1,219 | 1,678 |
人的被害
この項目では、特筆性のない死者・行方(安否)不明者等被災者の実名は記述しないでください。記述した場合、削除の方針ケースB-2により緊急削除の対象となります。出典に実名が含まれている場合は、その部分を伏字(○○)などに差し替えてください。 |
消防庁によると、11月26日14時現在、死者462人(うち災害関連死235人)が確認されている[16]。3月時点で報告されていた災害関連死は15人であったが[283]、その後災害関連死と認定された人数は増加した。また輪島市で3人が行方不明になっている[282]。日本において100人以上の死者を出した地震は第二次世界大戦の終戦後で、熊本地震に次ぎ9回目となった[284]。災害関連死を含めない直接死に限れば熊本地震(50人)の4倍を超えており[285]、阪神・淡路大震災以降では東日本大震災と阪神・淡路大震災に次いで3番目に多くなった[138]。
石川県が1月22日までに遺族の同意を得た死者114人について公表した死亡の状況によると、約9割にあたる100人が家屋倒壊で、土砂災害が8人、津波が1人、避難所で死亡が1人、自宅等で死亡が1人となっている[286]。警察が1月31日までに検視した222人の死因は、圧死が92人(41%)、窒息・呼吸不全が49人(22%)、低体温症・凍死が32人(14%)、外傷性ショック等が28人(13%)、焼死が3人(1%)などだった[287]。低体温症・凍死については、道路が寸断された中での救助の遅れが死亡につながった可能性がある[288]。人口1人当たりの全壊数は輪島市で0.145棟、珠洲市で0.274棟であり阪神・淡路大震災の際の神戸市灘区や東灘区の2倍から3倍であった[289]。そのために生き埋めの被害も多く、その理由としては珠洲市の方が築年数の長い建築物が多かったことが指摘されている[290]。全壊した建築物1棟当たりの死者数は輪島市で0.031人、珠洲市で0.032人と阪神・淡路大震災の際の灘区や東灘区と比べると3分の1前後であった。この理由として、本震の4分前に前震があり警戒することができた上、本震でも十数秒前の2回の地震のおかげで緊急地震速報が住宅が倒壊するような激しい揺れの前に届いたために、住宅から逃げ出すことができた人がいたことが指摘されている[289]。
輪島市の朝市通り周辺の火災(後述)現場では、10人の死亡が確認されている[291]。穴水町では土砂崩れに住宅3棟が巻き込まれ、16人が死亡した[292]。
志賀町徳田では、20代女性と90代男性が倒壊した建物に挟まれ、男性は21時ごろに救出されたが、意識不明の状態で搬送され[293]、後に死亡が確認された[294]。
アメリカ地質調査所 (USGS)は4万1000人が改正メルカリ震度階でIXの揺れ、15万人がVIIIの揺れ、117万2000人がVIIの揺れ、277万1000人がVIの揺れ、170万4000人がVの揺れ、6152万7000人がIVの揺れ、893万8000人がIからIIIの揺れに見舞われたと推計し、99 %の確率で1人以上、92 %の確率で10人以上、56 %の確率で100人以上、12 %の確率で1000人以上の犠牲者が出たと推定した[295]。また、防災科学技術研究所は震度6強以上の揺れに見舞われたのが5万人、震度6弱以上の揺れに見舞われたのが20万人、震度5強以上の揺れに見舞われたのが100万人、震度5弱以上の揺れに見舞われたのが500万人と推計している[296]。避難指示の対象は1月1日22時45分時点で秋田県・山形県・新潟県・石川県・福井県・兵庫県・鳥取県・福岡県・佐賀県の9県で9万7000人を超えた[297]。輪島市では、地滑りや土砂災害への懸念から1月5日には紅葉川、鈴屋川、町野川支流沿いの河原田地区に暮らす26世帯に、1月8日には輪島野球場近くの稲舟町に住む75世帯に避難指示が発令されたが、両方とも対象となった地域の住民は発令時点で全員が避難を済ませていた[298]。また、大規模な土砂崩れが発生した金沢市田上新町でも1月2日に32世帯に避難指示が発令されていたが、2月10日に解除された[299]。
石川県の基準では自然災害による安否不明者[注釈 38]に関しては親族の同意によらず氏名を公表することと定められていたが、死者に関しては遺族の感情への配慮を理由に氏名の公表には遺族の同意が必要とされていた。しかし、地震直後は被害の把握で精一杯であり同意を得る作業が進まなかったため、死者の氏名の公表は行われていなかった[301]。その後、遺族の同意を得る作業が進み、1月15日に23人の死者の氏名が初めて公表された[302]。さらに、2月19日までに139人の氏名が公表されている[303]。
被災地に最も近い大学病院である金沢医科大学病院に1月1日から31日までに搬送された地震に関係する患者421人の中で最も受け入れが多かった診療科は整形外科で51人、次いで呼吸器内科が48人、以下、循環器内科が40人、腎臓内科が38人と続き、ここまでで全ての患者の49.3 %を占めた。このほか、34人が消化器内科、28人が一般外科または消化器外科、26人が老年医学科、21人が救命救急科、16人が脳神経外科、15人が糖尿病の内分泌内科、14人が血液内科または免疫内科、13人が呼吸器外科、11人が形成外科または再建外科、10人が産科または婦人科で診療を受けた。以上で全ての患者の94.4 %を占めた。入院患者に限ると消化器内科が最も多く、一般外科または消化器内科、老年医学科、救命救急科と続いた。これらの結果から、地震直後に負傷した者は大半が外傷によるものであり、過去の地震の際の傾向と一致すると指摘された[304]。
元日に発生したことの影響
この地震は元日に発生した地震としては日本で例のない大規模な地震であった[305]。政府では「冬の夕方」など発生する季節や時間帯ごとに数通りのシナリオを作成し、それに沿った想定を行ってきたが、以下で述べるように特殊な事情を持っていた元日に発生する地震に対する想定までは行えていなかった[232]。
過疎化や少子高齢化が進行していた震源付近にも帰省のため通常より多くの人が滞在しており、被害を拡大させた。死者の中にも帰省者が多くおり、避難所でも通常より人口が多いことから食料の不足も懸念された。その一方で、自分の子供が帰省していたおかげで助かったと考えられる事例も複数あった[306]。ソフトバンクの子会社であるアグープ社がスマートフォンの位置情報を元に推計した情報によれば、地震が発生する直前の1月1日正午の時点で珠洲市・輪島市・能登町には6万6000人が滞在しており、年末年始ではない通常の日曜日(2023年12月3日)の同じ時刻と比較して30 %以上多かった。特に県外から訪れた人数は通常の日曜日と比較して珠洲市では6倍、能登町では10倍に達した[307]。また、企業でも帰省のため従業員が勤務地と異なる地域に滞在している事例が多かったことから、被災したにも関わらず安否確認のメールが届かなかった事例も発生した。このような事態への対策として、位置情報を活用することなどが挙げられた[308]。
輪島市では、母親の実家に帰省中だった富山市の中学1年生の男子生徒が地震によって倒壊した家屋の下敷きになり死亡している[309]。6日には同じく富山市内在住の30代女性が地震当日に石川県内に帰省していたために被災し死亡したと発表された[310]。
ペットへの被害
能登半島北部などこの地震で大きな被害を受けた地域では犬と猫だけで少なくとも1万のペットが飼育されていると�